いう意味だと、娘も判ったのか、
「う、う、う……」
と首を振った。聴えぬらしい。
「ちょっと……」
男は食堂の女を呼んで、
「――この娘に、にぎり寿司食わせてやってくれ、それからビールもう一本……」
にぎり寿司が来ると、娘はむさぼるように口へ放り込んで、またたく間に食べてしまい、皿についている飯粒を、舌の先でペロペロと拾った。
男はビールを飲みながら、じっとその容子を見ていたが、やがて怪しげな手つきで、
「――おれに――ついて来たら――もっと飯を――食わせてやる――ついて来るか……」
という意味の手真似を、やり出した。
即席の手真似だが、娘には通じたのか。だまってうなずいた。
飯を食わせてくれるなら、どこまでもついて行く――という風であった。
男はにやりと笑うと、勘定を払った。そしてコップに残っているビールを、立ったまま、ぐいと飲みほした。
途端に、男の青い腕が袖から覗いた。
その青さに、小沢はどきんとした。青い腕――と見えたのは、刺青だったのだ。
「さア、行こう」
コップを置くと、男は娘をうながして、外へ出た。娘はヒョロヒョロした足で、ついて行った。
その時、食堂の隅で古いラッパつきの蓄音機が鳴り出した。
まるで、唖でつんぼの娘が出て行くのを待っていた――といわんばかしに鳴り出したその音を聴いていると、何かしら奇妙な感じが、小沢の頭の中をぐるぐると廻った。
ラッパつきの蓄音機がチグハグなのか。時代おくれの刺青を見たことがチグハグなのか。それとも、ネオンサインが大阪の盛り場の夜空を赤・青・紫に染めていた頃の、昔の甘い浅薄な流行歌を、焼跡のバラック建の食堂の中で、白昼きいていることが、奇妙なのか。
いや、それよりも今ここを出て行った男の行動が、何か奇妙なような気がしてならなかった。
あの娘を何のためにどこへ連れて行くんだろう。飯ならここで食えるのに、物好きな……。
いや、単なる物好きだけだろうか。
へんだぞと、小沢は呟いた。
小沢は食堂の女を呼んで、きいた。
「今の人、いつも来るの……?」
「いいえ、はじめてです」
顔のオデキをかくそうとしてベタベタと塗り立てたのか、おかしい位こってりと厚化粧した女は、安白粉の匂いをプンプンさせながら、小沢の傍に掛けると、
「――おビール持って来まひょか」
大阪弁を使っているが、アクセントは上方のそれではなかった。どこからか大阪へ流れて来た女らしい。
「いや、いらん」
食堂だと思ったが、夜はカフェに変るのだろうか、いや、朝っぱらからもうカフェじみているわいと思いながら、小沢はぶっ切ら棒に断ったが、ふと思い出して、
「――それより、にぎりを持って来てくれ」
十五円のライスカレー一皿では、腹が一杯にならなかったのだ。
「にぎり一チョウ!」
「あ、二皿にしてくれ」
と、小沢はあわてて言った。
「――土産にするから、包んでくれないか」
阿倍野橋の宿で待っている雪子のことを、想い出したのである。
雪子も昨夜から何も食べていないのだ。だから、自分で食べるより、雪子のところへ早く持って行って、食べさせてやりたかった。
が、飯はこれで出来たが、著物はどうすればいいのか。
売り払って著物の金にかえる筈だった荷物は、しかし駅でなくなってしまった。
「弱ったな」
げっそりした声を出して、小沢は思わず呟いた。
手ぶらで帰れば、雪子は今日も宿を出られず、昨夜と同じように一つの部屋で明かさねばならない。
よしんば、それは我慢するとしても、もう宿賃の払いが心細いのだ。
「昨夜、細工谷なんか歩いたばっかしに、おれも苦労するわい」
小沢は夜更けの雨の中で、一糸もまとわぬ雪子にいきなり出くわした時のことを、想い出しながら、苦笑した途端、ふと細工谷町の友人のことに気がついた。
その友人は独身だったが、案外細君を貰っているかも知れない。よしんば独身にせよ、たしか妹がいた筈だ。
「そうだ、あいつに頼んで、女の著物を借りるより手がない」
小沢はにぎり寿司の包みを受け取って、勘定を払うと、その食堂を出たが、どこをどう抜ければ、駅前の停留所へ出られるのか、はじめてのこと故さっぱり見当がつかず、迷宮のような闇市場の中をぐるぐる廻ったあげく、やっと抜け出してみると、そこは梅田新道通りだった。
小沢は苦笑しながら、阪急の方へ歩いて行って、やっと今里行の市電に乗った。
市電は混んでいた。
北浜二丁目で十人ばかり降りたので、小沢はいくらか空いている出口の方へ詰めて行こうとして、ひょいと見た途端、
「あッ!」
と思った。
出口に近く、釣革にぶら下っている腕を見たのだ。
青い刺青の腕だ。その横にさっきの唖の娘が乗っていた。
やがて、電車が上本町六丁目に著いたので、小沢が降り
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