ように走りながら、
「しもたッ! あの男を突き落す前に掏ってやればよかった……」
そんな後悔でかえって自分を力づけていた。
「――しかし、掏ってみても、あの男のこっちゃさかい、新円の五十円もよう持っとらんやろ、朝の仕事はじめに、百円にもならん仕事をしたら、けちがつく」
そう考えると、――いや、そう考える余裕がこの際残っていたことで、豹吉はわずかに自尊心が慰められた。
けれど、走る足はやはり速かった。……
それから、四時間近くたった頃――
どこをどう歩きまわっていたのか、豹吉は風のように難波の闇市へ現れた。
昨日は雨とメーデーで闇市もさびれたが、今日の闇市はまだ昼前だというのに、ぞろぞろと雑踏していた。
揉まれるようにして、歩いていると、
「大将! 靴みがきまひょか」
二人の少年から同時に声を掛けられた。
二人は顔が似ていた。二人とも痩せて、顔色が悪く、乾いた古雑巾のように薄汚い無気力な顔をしている点が、似ているだけではない。顔立ちが似ているのだ。どちらも、びっくりしたように、眼が飛び出している。
兄弟かも知れない。
豹吉はふと腕時計を見た。十時十分前だ。
「まだ十分ある」
豹吉は二人の少年の方へ寄って行くと、
「――お前磨け!」
小さい方へ靴を出した。
大きい方の少年はあぶれた顔であった。
片一方磨き終ると、豹吉は、
「それでええ」
「まだ片足すんどらへんがな」
「かめへん」
と、金を渡すと、豹吉はこんどは大きい方の少年の方へ、
「こっちの足はお前磨け」
「…………」
「心配するな。金は両足分払ったる」
「オー・ケー」
いそいそと磨き出した。
通り掛った巡査がじろりと豹吉の顔を見て行った。
豹吉はふと、香里の一家みな殺しの犯人が靴を磨いているところを、捕まった――という話を想い出した。
磨き終って、金を払った途端、豹吉はまたもや奇妙なことを思いついた。
豹吉はペッと唾をはいた。
が、べつに不機嫌だというわけではない。
むしろ機嫌のよい証拠には、両の頬に憎いほど魅力のあるえくぼが、ふっと泛んでいる。
だしぬけに泛んだ思いつきの甘さに自らしびれていたのだ。
「おい、お前ら珈琲飲み度うないか」
豹吉は靴磨きの兄弟に言った。
「珈琲か。飲んだことないけど、うまそうやな」
大きい方の次郎が云った。
「一ぺん飲みたいな。そやけ
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