球部をよし、再びその校門をくぐることもなかつた。そのことを想ひだしながら、私は坂を登つた。
登り詰めたところは路地である。路地を突き抜けて、南へ折れると四天王寺、北へ折れると生国魂《いくたま》神社、神社と仏閣を結ぶこの往来にはさすがに伝統の匂ひが黴《かび》のやうに漂うて仏師の店の「作家」とのみ書いた浮彫《うきぼり》の看板も依怙地《いこぢ》なまでにここでは似合ひ、不思議に移り変りの尠《すくな》い町であることが、十年振りの私の眼にもうなづけた。北へ折れてガタロ横町の方へ行く片影の途上、寺も家も木も昔のままにそこにあり、町の容子《ようす》がすこしも昔と変つてゐないのを私は喜んだが、しかし家の軒が一斉に低くなつてゐるやうに思はれて、ふと架空の町を歩いてゐるやうな気もした。しかしこれは、私の背丈《せたけ》がもう昔のままでなくなつてゐるせゐであらう。
下駄屋の隣に薬屋があつた。薬屋の隣に風呂屋があつた。風呂屋の隣に床屋があつた。床屋の隣に仏壇屋があつた。仏壇屋の隣に桶屋があつた。桶屋の隣に標札屋があつた。標札屋の隣に……(と見て行つて、私はおやと思つた。)本屋はもうなかつたのである。
善書堂
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