といふ本屋であつた。「少年倶楽部」や「蟻の塔」を愛読し、熱心なその投書家であつた私は、それらの雑誌の発売日が近づくと、私の応募した笑話が活字になつてゐるかどうかをたしかめるために、日に二度も三度もその本屋へ足を運んだものである。善書堂は古本や貸本も扱つてゐて、立川文庫もあつた。尋常六年生の私が国木田独歩の「正直者」や森田草平の「煤煙」や有島武郎の「カインの末裔《まつえい》」などを読み耽つて、危く中学校へ入り損ねたのも、ここの書棚を漁《あさ》つたせゐであつた。
その善書堂が今はもうなくなつてゐるのである。主人は鼻の大きな人であつた。古本を売る時の私は、その鼻の大きさが随分気になつたものだと想ひ出しながら、今は「矢野名曲堂」といふ看板の掛つてゐるかつての善書堂の軒先に佇《たたず》んでゐると、隣の標札屋の老人が、三十年一日の如く標札を書いてゐた手をやめて、じろりとこちらを見た。そのイボの多い顔に見覚えがある。私は挨拶しようと思つて近寄つて行つたが、その老人は私に気づかず、そして何思つたか眼鏡を外すと、すつと奥へひつこんでしまつた。私はすかされた想ひをもて余し、ふと矢野名曲堂へはいつて見ようと思つた。区役所へ出頭する時刻には、まだ少し間があつた。
店の中は薄暗かつた。白昼の往来の明るさからいきなり変つたその暗さに私はまごついて、覚束《おぼつか》ない視線を泳がせたが、壁に掛つたベートーベンのデスマスクと船の浮袋だけはどちらも白いだけにすぐそれと判つた。古い名曲レコードの売買や交換を専門にやつてゐるらしい店の壁に船の浮袋はをかしいと思つたが、それよりも私はやがて出て来た主人の顔に注意した。はじめははつきり見えなかつたが、だんだんに視力が恢復して来ると、おや、どこかで見た顔だと思つた。しかし、どこで見たかは思ひ出せなかつた。鼻はそんなに大きくなく、勿論もとの善書堂の主人ではなかつた。その代り、唇が分厚く大きくて、その唇を金魚のやうにパクパクさせてものをいふ癖があるのを見て、徳川夢声に似てゐるとふと思つたが、しかし、どこかの銭湯の番台で見たことがあるやうにも思はれた。年は五十を過ぎてゐるらしく、いづれにしても、名曲堂などといふハイカラな商売にふさはしい主人には見えなかつた。さういへば、だいいち店そのものもその町にふさはしくない。もつとも、区役所へ行く途中、故郷の白昼の町でしんね
前へ
次へ
全10ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング