と見えた。Sは銃につけ剣して、いかめしく身構えて、つまり見張りの役をしていたのだ。ほかの兵隊達は皆見送人と、あちこちに集いながら団欒しているので、自分がその見張りの役を買っているのだと、彼は淋しい顔もせずに言った。彼には見送人が私のほかには無かったのだ。私はSは両親も兄弟も親戚もない、不遇な男であることを想い出した。彼はたった一人の見送人である私を待ち焦れながら、雨の土砂降の中を銃剣を構えて、見張りの眼をピカピカ光らせていたのだ。言葉少く顔見合せながら、私達のお互いの心には瞬間、温く通うものがあった。眼の奥が熱くなった。
 やがて、ラッパが鳴り響いた。集合、整列、そして出発だ。Sは背嚢を肩にした。ラッパの勇しい響きと同時に、到るところで、××君万歳の声が渦をまいて、雨空に割込むように高く挙った。その声は暫く止まなかった。整列、点呼が終った。またしてもラッパだ。出発である。兵隊達は靴音を立て始めた。Sも歩き出した。ふと、Sの視線が私の視線に飛びこんで来た。微笑があった。私はSへの万歳がなかったことに今はじめて狼狽して、いきなりS君万歳とひとりで叫んだ。私の声は腹に力が足りなかったのか、か
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