鉢の灰をつつきながら、戸外の人通りを眺《なが》めていると、そこの明るさが嘘《うそ》のようだった。ちょうど向い側が共同便所でその臭気がたまらなかった。その隣りは竹林寺《ちくりんじ》で、門の前の向って右側では鉄冷鉱泉を売っており、左側、つまり共同便所に近い方では餅《もち》を焼いて売っていた。醤油をたっぷりつけて狐色《きつねいろ》にこんがり焼けてふくれているところなぞ、いかにもうまそうだったが、買う気は起らなかった。餅屋の主婦が共同便所から出ても手洗水《ちょうず》を使わぬと覚しかったからや、と柳吉は帰って言うた。また曰《いわ》く、仕事は楽で、安全剃刀の広告人形がしきりに身体を動かして剃刀をといでいる恰好が面白いとて飾窓《ウインドー》に吸いつけられる客があると、出て行って、おいでやす。それだけの芸でこと足りた。蝶子は、「そら、よろしおまんな」そう励《はげ》ました。
剃刀屋で三月《みつき》ほど辛抱したが、やがて、主人と喧嘩《けんか》して癪《しゃく》やからとて店を休み休みし出したが、蝶子はその口実を本真《ほんま》だと思い、朝おこしたりしなくなり、ずるずるべったり店をやめてしまった。蝶子は一層ヤト
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