行《はや》った。妾になれと客はさすがに時機を見逃さなかった。毎朝、かなり厚化粧してどこかへ出掛けて行くので、さては妾になったのかと悪評だった。が本当は、柳吉が早く帰るようにと金光教の道場へお詣りしていたのだった。
二十日余り経つと、種吉のところへ柳吉の手紙が来た。自分ももう四十三歳だ、一度|大患《たいかん》に罹《かか》った身ではそう永くも生きられまい。娘の愛にも惹《ひ》かされる。九州の土地でたとえ職工をしてでも自活し、娘を引き取って余生を暮したい。蝶子にも重々気の毒だが、よろしく伝えてくれ。蝶子もまだ若いからこの先……などとあった。見せたらこと[#「こと」に傍点]だと種吉は焼き捨てた。
十日経ち、柳吉はひょっくり「サロン蝶柳」へ戻って来た。行方を晦《くら》ましたのは策戦や、養子に蝶子と別れたと見せかけて金を取る肚やった、親爺が死ねば当然遺産の分け前に与《あずか》らねば損や、そう思て、わざと葬式にも呼ばなかったと言った。蝶子は本当だと思った。柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形《おたふくにんぎょう》が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯《おおぢょうちん》がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。おまけに、ぜんざいを註文《ちゅうもん》すると、女夫《めおと》の意味で一人に二杯ずつ持って来た。碁盤《ごばん》の目の敷畳に腰をかけ、スウスウと高い音を立てて啜《すす》りながら柳吉は言った。「こ、こ、ここの善哉《ぜんざい》はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫《だゆう》ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯|山盛《やまもり》にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山《ぎょうさん》はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」蝶子は「一人より女夫の方がええいうことでっしゃろ」ぽんと襟を突き上げると肩が大きく揺れた。蝶子はめっきり肥えて、そこの座蒲団が尻にかくれるくらいであった。
蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝《こ》り出した。二ツ井戸天牛書店の二階広間で開かれた素義大会で、柳吉は蝶子の三味線で「太十《たいじゅう》」を語り、二等賞を貰った。景品の大きな座蒲団は蝶子が毎日使った。
[#地から1字上げ](昭和十五年八月)
底本:「ちくま日本文学全集 織田作之助」筑摩書房
1993(平成5)年5月20日第1刷発行
底本の親本:「現代日本文学大系70」筑摩書房
1970(昭和45)年
初出:「海風」
1940(昭和15)年4月
※1940(昭和15)年7月、「文芸」改造社に再録。
入力:野口英司
校正:江戸尚美
1998年3月12日公開
2008年10月5日修正
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