こ》であった。
そんな母親を蝶子はみっともないとも哀《あわ》れとも思った。それで、母親を欺《だま》して買食いの金をせしめたり、天婦羅の売上箱から小銭を盗《ぬす》んだりして来たことが、ちょっと後悔《こうかい》された。種吉の天婦羅は味で売ってなかなか評判よかったが、そのため損をしているようだった。蓮根でも蒟蒻でもすこぶる厚身で、お辰の目にも引き合わぬと見えたが、種吉は算盤《そろばん》おいてみて、「七|厘《りん》の元を一銭に商って損するわけはない」家に金の残らぬのは前々の借金で毎日の売上げが喰込《くいこ》んで行くためだとの種吉の言い分はもっともだったが、しかし、十二|歳《さい》の蝶子には、父親の算盤には炭代や醤油代がはいっていないと知れた。
天婦羅だけでは立ち行かぬから、近所に葬式《そうしき》があるたびに、駕籠《かご》かき人足に雇《やと》われた。氏神の夏祭には、水着を着てお宮の大提燈《おおぢょうちん》を担いで練ると、日当九十銭になった。鎧《よろい》を着ると三十銭あがりだった。種吉の留守にはお辰が天婦羅を揚げた。お辰は存分に材料を節約《しまつ》したから、祭の日通り掛りに見て、種吉は肩身《かたみ》の狭《せま》い想いをし、鎧の下を汗《あせ》が走った。
よくよく貧乏《びんぼう》したので、蝶子が小学校を卒《お》えると、あわてて女中奉公《じょちゅうぼうこう》に出した。俗に、河童《がたろ》横町の材木屋の主人から随分《ずいぶん》と良い条件で話があったので、お辰の頭に思いがけぬ血色が出たが、ゆくゆくは妾《めかけ》にしろとの肚《はら》が読めて父親はうんと言わず、日本橋三丁目の古着屋《ふるてや》へばかに悪い条件で女中奉公させた。河童《がたろ》横町は昔《むかし》河童《かっぱ》が棲《す》んでいたといわれ、忌《きら》われて二束三文《にそくさんもん》だったそこの土地を材木屋の先代が買い取って、借家を建て、今はきびしく高い家賃も取るから金が出来て、河童は材木屋だと蔭口《かげぐち》きかれていたが、妾が何人もいて若い生血を吸うからという意味もあるらしかった。蝶子はむくむく女めいて、顔立ちも小ぢんまり整い、材木屋はさすがに炯眼《けいがん》だった。
日本橋の古着屋で半年余り辛抱《しんぼう》が続いた。冬の朝、黒門《くろもん》市場への買出しに廻《まわ》り道して古着屋の前を通り掛った種吉は、店先を掃除《そうじ
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