に、土方、沖仲仕、飯屋の下廻り、板場、夜泣きうどん屋、関東煮の屋台などさまざまな商売を経て、今日、生国魂神社前に料理仕出し屋の一戸を構え、自分でも苦労人やと云いふらしているだけに、順平を仕込むのも、一人前の板場になるには先ず水を使うことから始めねばならぬと、寒中に氷の張ったバケツで皿洗いをさせ、また二度や三度指を切るのも承知の上で、大根をむかせて、けん[#「けん」に傍点](刺身のつま)の切り方を教えた。庖丁が狂って手を切ると、先ず、けんが赤うなってるぜといわれた。手の痛みはどないやとも訊いてくれないのを、十三の年では可哀相だと女子衆《おなごし》の囁きが耳にはいるままに、やはり養子は実の子と違うのかと改めて情けない気持になった。
 叔父叔母はしかし、順平をわざわざ継子扱いにはしなかったのだ。そんな暇もないといった顔だった。奇体《けったい》な子供だと思っても、深く心に止めなかった。商売病[#ママ]、冠婚葬祭や町内の集合の料理などの註文が多かったから、近所の評判が大事だった。生国魂神社の夏祭には、良家のぼんぼん並みに御輿かつぎの揃いの法被もこしらえて呉れた。そんな時には、美津子の聟になれると
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