理衣をきている順平の姿が文吉には大変立派に見え、背ものびたと思えたので、そのことを云った。順平は料理場用の高下駄をはいているので高く見えたのだった。二十二歳の文吉は四尺七寸しかなかった。順平は九寸位あった。順平は柿をむいて見せた。皮がくるくると離れ、漆喰に届いたので文吉は感心し、賞めた。
 その夜、婚礼の席がおひらきになるころ、文吉は腹が痛み出した。膳のものを残らず食い、酒ものんだからだった。かねがね蛔虫を湧かしていたのである。便所に立とうとすると、借着の紋附の裾が長すぎて、足にからまった。倒れて、そのまま、痛い痛いとのた打ちまわった。別室に運ばれ、医者を迎えた。腸から絞り出して夜着を汚した臭気の中で、順平は看護した。やっと、落ち付いて文吉が寝いると、順平は寝室へ行った。夜は更けていて、もう美津子は寝こんでいた。だらしなく手を投げ出していた。ふと気が付いてみると、阿呆んだら。順平は突きとばされていた。
 あくる朝、文吉の腹痛はけろりと癒った。早う帰らんと金造に叱られるといったので、順平は難波まで送って行った。源生寺《げんしょうじ》坂を降りて黒門市場を抜け、千日前へ行き出雲屋へはいった。また腹痛になるとことだと思ったが、やはり田舎で大根や葉っぱばかり食べている文吉にうまいものをたべさせてやりたいと順平は思ったのだ。二円ほど小遣いをもっていたので、まむしや鮒の刺身を註文した。一つには、出雲屋の料理はまむし[#「まむし」に傍点]と鮒の刺身と、きも吸のほかは不味いが、さすが名代だけあって、このまむし[#「まむし」に傍点]のタレ[#「タレ」に傍点]や鮒の刺身のすみそ[#「すみそ」に傍点]だけは他処《よそ》の店では真似が出来ぬなどと、板場らしい物の云い振りをしたかったのだ。文吉はぺちゃくちゃと音をさせて食べながら、おそで(継母)の連子の浜子さんは高等科を卒業して、今は大阪の大学病院で看護婦をしているそうでえらい出世であるが、順平さんのお嫁さんは浜子さんより別嬪さんである。俺は夜着の中へ糞して情ない兄であるが、かんにんしてくれと云った。聴けば、金造は強慾で文吉を下男のように扱い、それで貯金帳を作ってやっているというのも嘘らしく、その証拠に、この間も村雨羊羹を買うとて十銭盗んだら、折檻されて顔がはれたということだ。そんな兄と別れて帰る帰途、順平は、たとえ美津子に素気なくされ続けても、我慢して丸亀の跡をつぎ、文吉を迎えに行かねばならぬと思った。癖で興奮して、出世しようしようと反り身になって歩き、下腹に力をいれると、いつもより差し込み方がひどかった。
 名ばかりの亭主で、むなしく、日々が過ぎた。一寸の虫にも五分の魂やないか、いっそ冷淡に構えて焦らしてやる方が良いやろと、ことを察した木下が忠告してくれたが、そこまでの意気も思索も浮ばなかった。わざと順平の子だといいならして、某生徒の子供が美津子の腹から出た。好奇心で近寄ったが、順平は産室にいれてもらえなかった。しかし、産婆は心得て順平に産れたての子を渡した。抱かされて覗いてみると、鼻の低いところなど自分に似ているのだ。本当の父親も低かったのだが。
 近所の手前もあり、吩咐られて風呂へ抱いて行ったりしている内に、なぜか赤ん坊への愛情が湧いて来た。しかし、赤ん坊は間もなく死んだ。風呂の湯が耳にはいった為だと医者が云った。それで、わざと順平がいれたのであろうという忌わしい言葉が囁かれた。ある日、便所に隠れてこっそり泣いていると、木下がはいって来て、今まで云おう云おうと思っていたのだが……とはじめてしんみり慰めてくれた。そうして木下は、僕はもうこんな欺瞞的な家には居らぬ決心をしたといった。木下は、四十にはまだ大分間があるというものの、髪の毛も薄く、弁護士には前途遼遠だった。性根を入れていないから、板場の腕もたいしたものにならず、実は何かといや気がさしていたのだ。馴染みの女給がちかごろ東京へ行った由きいたので後を追うて行きたいと思っていた。その女給に通う為に丸亀に月給の前借が四月分あるが、踏み倒す魂胆であった。
 その夜、二人でカフェへ行った。傍へ来た女の安香水の匂いに思いがけなく死んだ父のことを思い出し、しんみりしている順平の容子を何と思ったか、木下は耳に口を寄せて来て、この女子は金で自由になる、世話したげよか。順平は吃驚して、金は出しまっさかい、木下はん、あんた口説きなはれ、あんたに譲りまっさ。いつの間にか、そんな男になっていた。脱腸をはじめ、数えれば切りのない多くの負《ひ》け目が、皮膚のようにへばりついていたのだ。

       二

 文吉は夜なかに起されると、大八車に筍を積んだ。真っ暗がりの田舎道を、提灯つけて岸和田までひいて行った。轍の音が心細く腹に響いた。次第に空の色が薄れて、岸和田の青物市場
前へ 次へ
全13ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング