が出て、眼がかすんだ。が、そのやに[#「やに」に傍点]を拭きながら、やはり好きなアルコールをやめなかった。自分でも悪いと思っていたのだろう。だから自虐的に、武田麟太郎失明せりなどというデマを飛ばして、腹の中でケッケッと笑っていた。そんな武田さんが私は何ともいえず好きだった。ピンからキリまでの都会人であった。
 去年の三月、宇野さんが大阪へ来られた時、ある雑誌で「大阪と文学を語る座談会」をやった。その時、武田さんの「銀座八丁」の話が出た。宇野さんは武田さんのものでは「銀座八丁」よりも「日本三文オペラ」や「市井事」などがいいと言っておられたように記憶している。これらの作品は武田さんの二十代か三十二三の頃のものであった。近頃の三十歳前後の作家は何をボヤボヤしているかと言いたいくらい、これらの作品は優れている。が、武田さんは「日本三文オペラ」から「銀座八丁」のリアリズムを通って、遂に「雪の話」一巻の象徴の門に辿りついた。「雪の話」は小説の中の小説であった。宇野浩二――川端康成――武田麟太郎、この大阪の系統を辿って行くと、名人芸という言葉が泛ぶ。たしかに、宇野、川端以後の小説上手は武田麟太郎であ
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