もないのである。見っともないだけならまだしもだが、何だか破戒僧のような面相になってしまうのである。この弱点を救うには、髪の毛を耳のあたりまで房々と垂れるより仕方がない。そう思案した私は、実をいえば中学生の頃から髪の毛を伸ばしたかったのである。
しかし中学生の分際で髪の毛を伸ばすのは、口髭を生やすよりも困難であった。それ故私は高等学校にはいってから伸ばそうという計画を樹て、学校もなるべく頭髪の型に関する自由を許してくれそうな学校を選んだ。倖い私のはいった学校は自由を校風としていた。授業のはじめと終りに鳴る鐘は自由の鐘とよばれていて、その学校のシンボルであった。寄宿舎も自由寮という名がついていた。
私はその名に憧れて自由寮の寮生になった。ところが自由寮には自治委員会という機関があって、委員には上級生がなっていたが、しかしこの委員は寮生間の互選ではなく、学校当局から指命されており、噂によれば寮生の思想傾向や行動を監視して、いかがわしい寮生を見つけると、学校当局へ報告するいわばスパイの役をしているということであった。そのために手当を貰っているという説を成すものもあった。私は手当云々は信じられなかったが、しかし自治委員の前では自分の思う所を述べられないと思った。が、たった一つ彼等の眼をくらますことの出来ないものがあった。それは私の髪の毛である。ある日それは丁度私の髪の毛がはじめて左右に分けられた日のことであったが、あの自治委員は私を呼んで、頭を丸刈りにすべしと命令した。私はことの意外に驚いて、この学校は自由をモットーとしているのに、生徒の頭の型まで束縛して、一定の型にはめてしまおうとするのであるかと、早口で言った。すると自治委員の言うのには、寮では寮生のすべては丸刈りたるべしという規則がある。郷に入れば郷に従えという諺を君は知らぬのか。では、郷を去るまでだ、俺は俺の頭を守ると、私は気障な言い方をして、寮を去り下宿住いをした。丁度満州事変が起った直後のことであった。
寮生はすべて丸刈りたるべしという規則は、私にとっては奇怪な規則であった。私は何故こんな規則が出来たのだろうかと、暫く思案したが、よく判らなかった。そこで私は、もしかしたらこれは、長髪の生徒の中には社会主義の思想を抱いている者が多いから、丸刈りを強制したのかも知れないという珍妙な想像をして、ひそかに吹きだした。
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