告げて丸刈りになった。そしてその夜私は大阪市内の親戚の家に泊った。私は点呼の訓練は寄留地の分会で受けたが、点呼は本籍地で受けねばならなかった。
 点呼令状によれば点呼を受ける者は午前七時に点呼場へ出頭すべしとあったが、点呼場は市内にあり、朝の一番電車に乗っても午前七時に到着することはむつかしかったので、市内の親戚の家に泊ったのである。そしてその朝私は午前五時に起きて支度をし、タクシーでかけつけたので、点呼場へ着いたのは、午前七時にまだ三十分間があった。ところが驚いたことには、参会者はすでに整列をすましていて、何のことはない私は遅刻して来た者のようであった。それで私はおそるおそる分会長の前へ出頭すると、分会長はいきなり私の顔を撲って、莫迦野郎、今頃来る奴があるかと奴鳴った。
 私は点呼令状と腕時計をかわるがわる見せて、令状には午前七時に出頭すべしとあるが、今はまだ七時前であるという意味のことを述べると、分会長は文句を言うなと奴鳴って、再び拳骨で私の鼻を撲った。あッと思って鼻を押えると、血が吹き出していた。あとで知ったことだが、この在郷軍人会の分会長は伍長上りの大工で、よその分会から点呼を受けに来た者には必ず難癖をつけて撲り飛ばすということであった。なお、この男を分会長にいただいている気の毒な分会員達は二週間の訓練の間、毎日の如く愚劣な、そしてその埋め合せといわんばかりに長ったらしい殺人的演説を聴かされて、一斉に食欲がなくなったそうである。この話を聴いた時、私は鼻血は出たけれど大工の演説を聴かずに済んだ自分を倖せに思った。私は自分の精神の衛生上、演説呆けという病気をかねがね怖れていたのである。
 鼻血が出たので、私は鼻の穴に紙片をつめたまま点呼を受けた。査閲の時点呼執行官は私の顔をジロリと見ただけで通り過ぎたが、随行員の中のどうやら中尉らしい副官は私の鼻を問題にした。
 傍にいた分会長はこ奴は遅刻したので撲ってやりましたと言った。私はいや遅刻したのではない、点呼令状の指定する時間前に到着したのである旨をありていに述べた。その途端、副官の肩が動いた。愚かな私はてっきり分会長が撲られるだろうと思った。が、撲られたのは私の方であった。私は五つまで数えたが、あとはいくつ撲られたのか勘定も出来ぬくらいの意識状態になってしまった。そんな意識状態になったので、その時私の頭に一寸気障な
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