店はそれらの型に該当しない頭髪の客を断ることを申し合わせたというのである。
 私はことの意外に呆れてしまったが、果して間もなくあるビルディングの地下室にある理髪店へ行くと、金縁眼鏡をかけたそこの主人はあなたのような髪は時局柄不都合であると言って、あれよあれよと驚いている間に、私の頭を甲型か乙型か翼賛型か知らぬがとにかく呉服屋の番頭のような頭に刈り上げてしまった。私は憤慨して、何が時局的に不都合であるか、むしろ人間の頭を一定の型に限定してしまおうとする精神こそ不都合ではないか、しかし言っておくが、髪の型は変えることが出来ても、頭の型まで変えられぬぞと言ってやろうと思ったが、ふと鏡にうつった呉服屋の番頭のような自分の頭を見ると、何故か意気地がなくなってしまって、はあさよかと不景気な声で呟くよりほかに言葉も出なかった。
 事変が戦争に変ると、私の髪は急激に流行はずれになってしまった。町にも村にも丸刈りが氾濫して、猫も杓子も丸坊主、丸坊主でなければ人にあらずという風景が描き出された。
 このような時に依然として長髪を守って行くことは相当の覚悟を要した。が、私は義憤の髪の毛をかきむしるためにも、長髪でおらねばならないと思った。言いたいことが言えぬ世の中だから、髪の毛をかきむしるより外に手がなかったのである。「物言わねば腹ふくれる」どころではなかった。星と錨と闇と顔が「物言わねば腹のへる」世の中であった。だから文学精神にも闇取引が行われ、心にもない作品が文学を僣称した。そして人々が漸くこのことの非を悟った時には、もう戦争は終りかけていた。
 しかし私は少し理屈を言いすぎた。おまけに先廻りすぎた。話を戻そう。――私はとにかく長髪を守っていたのであるが、やがて第二国民兵の私にも点呼令状が来た。そして点呼の日が近づくにつれて、私を戦慄させるようなさまざまな噂が耳にはいった。ことに点呼当日長髪のまま点呼場へ出頭した者は、バリカンで頭の半分だけ刈り取られて、おまけに異様な姿になった頭のままグランドを二十周走らされ、それが終ると竹刀で血が出るくらいたたかれるらしいという噂は、私を呆然とさせた。東京にいる友人からの手紙によると、東京では長髪のまま点呼場へ出頭してもカスリ傷一つ負わなかったということである。私はこの時くらい東京を羨ましく思ったことはなかった。
 点呼の前夜、私は遂に長髪に別れを
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