べて歩きながら言った。
「うん、兄ちゃん誘拐して!」
「汽車に乗って、どこかへ行こうか。牛小屋や水車小屋のある百姓家で泊めて貰ったり、どっかの家の軒先で、ラジオの音が家の中から流れて来るのを聴いたり、降るような星空にすっと星が流れるのを見たりしながら野宿したり、行き当りばったりの小さな駅で降りると、こんな所にも小さな町があって、汚い映画館のアトラクションのビラに、ホールを追い出された顔馴染みのアコーディオン弾きの名前が出ているのを見て、なつかしさに涙がこぼれたり、さびれた温泉場の宿屋で宿賃が払えなくなって、兄ちゃんは客引に雇われ、お前は交換手に雇われて……」
「兄ちゃん、誘拐して! 誘拐して!」
京吉の眼もふとうるんでいたが、娘の眼も濡れていた。
河原町通りの雑閙の中で、ふと旅への郷愁を語るくらい、京吉は感傷的になっていたのだ。が、本当にこの娘と一緒に放浪しようかという気持がふっと起ったのは、昨夜茉莉のお通夜にやって来なかった陽子への面当てだろうか。
「陽子はきっと誘惑されたんだ。田村で泊ったんだ。だから、来られなかったんだ」
女は何人も知って来たが、恋は一度もしなかった京吉だっ
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