ちゃん」
 茉莉の倒れている傍に、突っ立ってキョトンとしている青年の顔を見ると、陽子は茉莉よりもその青年に声を掛けた。
 十番館では「京ちゃん」で通っている京吉という二十三の青年だった。
 京吉はどこのホールでも、チケットなしで踊れた。
 天才的にダンスが巧いのだ。ダンス教師も京吉のステップを見ていると、自分が情なくなるくらいだった。京吉の相手をしたダンサーは、慾も得も商売気も、そして憂さも忘れて――いや自分を見失ってしまうくらい、うっとりと甘くしびれるのだった。
「バンドがよくって、好きな曲で、リードの素晴らッしく巧い奴と踊ってると、よっぽど生理的にいやな奴でない限り、ふっと、こいつに口説かれてみたい――と思うことがあるわ」
 と、浮気なダンサーが言っているが、身持ちの固いダンサーでも、ダンスの三昧境へ巧みにリードされて行くと、ふっと相手に身を任しているような錯覚に、ゆすぶられることもあるという。
 ダンスの持っている強烈な、――殆んど生理的なリズムにまで燃える魅力の一つであろうか。
 京吉はそんな魅力を持っている少数の一人だった。
 おまけに、美貌だ。
 二十三歳だが、十代に見える
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