もとのバーへ戻って来た。そして、章三をパトロンにしようとした。彼は金をやったが、手をつけようとしなかった。女は彼をホテルへ誘った。彼は別に部屋を取った。女はバーのわらい者になった。
 それが彼の三十の年だった。
 それから五年がたち、三十五歳の章三は、終戦直後の北浜に木文字商事会社の事務所を持っていた。株で四五十万円は儲けたのだろうかと、貴子が田村の改造費のことを相談に行くと、ただ一言、
「京都へ行ったら泊めてくれ」
 と、二百万円だしてくれた。
 二号になれという意味だろうと貴子は察してむろんそれは百も承知だという顔をしたが、ところが章三はその後土曜日の夜ごとにやって来ても、口説こうとしない。
 たまりかねて、到頭貴子の方からむりやりこの美貌のパトロンを口説いてしまったが、その時章三は言った。
「おれは爪楊枝けずりの職人の息子や。女には金は出すが、金で口説けへん。女の方から惚れて来よったら口説かれてやる」
 その自尊心の強さに、貴子はむっとしたが、しかしこの三十五歳の青年には、何か頭の上らぬ感じだった。
「何をッ! 爪楊枝けずりの息子が……」
 と、思うが、鋭く迫って来る剃刀の光はヒ
前へ 次へ
全221ページ中48ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング