代とちがうところは、照れている状態の効果の損得を、損も得も心得ているという二十代の狡さだ。
 そして、春隆はその二十の最後の年齢に達していた。二十九という厄介な歳だ。
 春隆が若すぎたように、貴子は年がいきすぎていた。
 貴子がもっと若ければ、春隆もこれほどまで照れなかっただろう。姥桜という言葉の魅力も、せいぜい三十三までだ。それ以上は姥桜という言葉は、もう二十代の自尊心にかけても、一応生理的にやり切れない。
 春隆は、貴子の歳を、自分では三十二と言っているが、三十五か六だろうと見ていた。ところが、実は貴子は丙午だから、ことし四十一歳である。
 春隆の辟易もむりはなかったわけだが、しかし、すっかり辟易していたといっては、言いすぎだろう。
 辟易したような顔をしながら、春隆は時計を見ている間、じっと貴子のむっちりした腕を握っていることを、さすがに忘れなかったのだ。
 そして、貴子の胸の動悸を冷静に聴いていた――のだから、「見にくい時計ですね」という言葉に「醜い」という意味を含ませたのは、春隆にわずかに残っていた自嘲の精神だろう。
 含ませるといえば、貴子の体を胸にもたせかけるまでにはしな
前へ 次へ
全221ページ中43ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング