代とちがうところは、照れている状態の効果の損得を、損も得も心得ているという二十代の狡さだ。
そして、春隆はその二十の最後の年齢に達していた。二十九という厄介な歳だ。
春隆が若すぎたように、貴子は年がいきすぎていた。
貴子がもっと若ければ、春隆もこれほどまで照れなかっただろう。姥桜という言葉の魅力も、せいぜい三十三までだ。それ以上は姥桜という言葉は、もう二十代の自尊心にかけても、一応生理的にやり切れない。
春隆は、貴子の歳を、自分では三十二と言っているが、三十五か六だろうと見ていた。ところが、実は貴子は丙午だから、ことし四十一歳である。
春隆の辟易もむりはなかったわけだが、しかし、すっかり辟易していたといっては、言いすぎだろう。
辟易したような顔をしながら、春隆は時計を見ている間、じっと貴子のむっちりした腕を握っていることを、さすがに忘れなかったのだ。
そして、貴子の胸の動悸を冷静に聴いていた――のだから、「見にくい時計ですね」という言葉に「醜い」という意味を含ませたのは、春隆にわずかに残っていた自嘲の精神だろう。
含ませるといえば、貴子の体を胸にもたせかけるまでにはしな
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