ドレスの裾を持った。
「おれ、お袋なんかねえよ」
と、京吉もロビイを横切って、
「――おれのいる家の女のことだよ。みんな、ママ、ママと呼んでるから……」
おれもそう呼ぶんだ――というその言葉は、しかし、半分は聴きとれなかった。
バンドの騒音が、ホールの入口に近づいた二人の耳に、いきなりかぶさって来たのである。
「ママお二号さんなの……?」
「うん。旦那は土曜だけ来るんだ。おれ居候みたいだろう。だから、旦那に見つからない方がいいんだ」
京吉は聴えるように、ぐっと体を近づけていたが、ホールの中へはいると、陽子は何思ったのか、いきなり京吉からはなれて、
「あんた、じゃ、ママの燕……? いやねえ」
不潔だわ――と、顔をそむけた拍子に、ホールの奥の朱塗りの階段が、いつもより毒々しい色で眼に来た。
ふと、カメラを持っていた木崎のことが、頭をかすめた。陽子の眉は急に翳った。
「えっ……?」
丁度演奏台の傍をすり抜けている時だったので、京吉には聴えなかったらしい。
「聴えなかったらいいわ」
顔を見ずに、陽子は疳高く言った。
「燕だというんだろう……? まさか。ママは丙午だよ。大年増だよ
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