ヤリと冴えすぎていた。仮面のような美しい無表情も気になる。だから、
「あの子、おれへんな。どないしたンや」
と、いきなり言われると、どきんとして、
「あの子……?」
京吉のことを勘づかれたのだろうか、土曜日だけは田村へ置かずによそへ泊めているのにと、ひそかに呟いていると、
「うん。チマ子のことや。チマ子は……?」
五
「チマ子……?」
わざと問い返して、貴子はワイシャツをぬぎはじめた。
章三は黙ってうなずいて、ひそめた貴子の眉に、とっさに答えられぬ表情を読み、それから裸になった上半身を見た。ワイシャツの下はシュミーズもなく、むかし子供をうんだことのある乳房が、しかし二十歳の娘のように豊かに弾んで、ふといやらしい。
うんだのはチマ子。十六年前、貴子が銀座の某サロンで働いていた頃のことだ。その頃貴子は、文士や画家の取巻きが多く、
「明日はスタンダールで来い」
と、言われると「赤と黒」の二色のイヴニングで現れたり、
「今日は源氏物語よ」
と、紫の無地の着物で来たりするくらい、文学趣味にかぶれていたが、彼女がパトロンに選んだ姫宮銀造は、大阪の鉄屋でむろん文学などに縁のない男だった。その代り、金があった。貴子は銀造の子をうんだ。チマ子だ。貧しい家に生れて早くから水商売の女になった貴子は、美貌と肉体という女の二つの条件を極度に利用することを、きびしい世相に生きぬいて行く唯一の道だと考えていた。世の封建的な親達が娘の配偶者の条件に、家柄、財産、学歴を考えるのとほとんど同じ自己保存の本能から、貴子は男の条件をパトロンとしての資格で考える女だった。そして男を利用しながら、男を敵と考えて来た。
だから、チマ子をうんでも、うまされたと考えたのだ。しかし銀造はチマ子を可愛がったから、銀造の本妻が死んだ時、そのあとへはいれたのだが、銀造は既に破産していた。沈没船引揚げ事業につぎ込んで、失敗したのだ。
貴子に見捨てられた銀造は満州へ走り、その後消息は絶えたので、サバサバしていると、終戦になりひょっくり内地へ引揚げて来た。みるかげもなく痩せ衰えて田村を頼って来た父親を見ると、チマ子は喜ばぬ貴子の分まで喜んで、あいた部屋へ泊めた。が、ある夜銀造は貴子に挑んだ。貴子は冷酷にはねつけて田村を追い出そうとすると、銀造の方から飛び出したが、一月のちには、どんな罪を犯したのか、大阪の南署から検事局の拘置所へ送られていた。チマ子は差し入れに行った。貴子はきびしく叱りつけ、銀造を見る眼は赤の他人以上に冷たく白かった。チマ子は家出した。
浴衣に兵児帯、着のみ着のままで何一つ持たず飛び出したのである。環境のせいか、不良じみて、放浪性も少しはある娘だったから、貴子は箱入り娘の家出ほど騒がなかったが、しかしひそかに心当りは探してみた。そして空しく十日たっている……。
と、そんな事情をありていに章三に言ったものかどうか。貴子は素早く浴衣をひっ掛けて、
「チマ子お友達と東京よ。芸術祭とか何とかあるんでしょう。気まぐれな子だから……」
困っちゃうわと、東京弁で早口に言うと、章三は、
「ふーん。東京ならおれも行けばよかった。――いや、用事はあれへん。ただ、あの子と行くのがたのしいんや。どや、あの子おれにくれんか」
六
貴子ははっとした。
「チマ子をくれって、あなたあの子に……」
惚れてるの――と、あとの方はあわてて冗談にしてしまった。
「阿呆ぬかせ。――しかし、あの子は面白い子や。おれの顔を見ると、いつも白い侮辱したような眼で、にらみつける。おれはああいう眼を見ると、なんぼでも、おれの財産ありったけでも、出して、おれの自由にしたい――いう気になるンや。あはは……」
章三は三十五歳に似合わぬ豪放な笑いを笑ったが、しかしふと虚ろな響きがあり、おまけに眼だけ笑っていなかった。それが油断のならぬ感じだ。
「金さえ出せば、女はものになると……」
思ってるのねと、貴子は浴衣の紐を結んだ。
「君のような女がいる限り、男はみなそない思うやろ。君は男と金を同じ秤ではかってる女やさかいな」
「いやにからむのね」
「いや、ほめてるんや。女はみなチャッカリしてるが、しかし君みたいに、徹底したのはおらんな。男に金を出させといて、その男を恨んどるンやさかい、大したもンや」
「女ってそんなものよ。自分の体を自由にする男は、ハズだってどんなに好きなリーベだって、ふっと憎みたくなるものよ」
「つまり、おれなんか憎くて憎くてたまらんのやろ」
「あら。あなたは別よ」
「別って、どない別や」
「カーテン閉めましょうね。秋口だから、川風がひえるわ」
窓の外は加茂の川原で、その向うに宮川町の青楼の灯がまだ眠っていなかった。
「――このお部屋、宮川町からまる見えね」
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