ませる所へ案内しろ。但しひでえボリ屋へ連れて行ったら、キャッキャッだよ」
一つの俥へ無理に二人乗りして、野郎の相乗りはキャッキャッだが、おめえいい尻つきをしてるじゃねえかと銀ちゃんは膝の上に坂野の体をかかえて、ふと幌窓の外を眺めた途端、雨の中を一人トボトボ歩いている女の姿を見て、おやっと思った。芳子だった。
七
思えば今宵の京都の雨は、わが主人公たちをふと狂気めかせるために、降っていたのであろうか。頽廃の土曜の夜よりも、彼等の心を乱れに乱れさせた日曜の夜の底を、泥ンまみれにかきまわす雨であった。
セントルイスの夏子も泥にまみれ、カラ子の京吉恋しさもただならぬ激しさであった。坂野も銀ちゃんも酒に乱れて行き、京吉の夜歩きも常規を逸していたが、今夜の陽子もいつもの陽子ではなく、妖しく胸騒いでいた。
そして、坂野の細君の芳子も何か狂気じみていた――その証拠には、折角京吉について行った陽子のアパートから、急に飛び出して、呼びとめる京吉の声を雨の背中に聴き残しながら、町角を走って折れたが、やがて気の抜けた歩き方に重くうらぶれていた。
京吉につきまとっていたのは、女の意地からとはいうものの、一つにはやはり女にとっては一人ぽっちになるのが一番辛いからであろう。それだけに、京吉と陽子の親しさを女の勘でかぎつけたことほど芳子をみじめにしたことはなかったが、いきなり、飛び出したのは、自分でも思いがけぬ嫉妬であろうか。しかし、一人ぽっちで夜の町をさまようという寂しさの中へ、わざと自分を虐めて行く女心は、もはやただならず狂気めいていたのだ。
そして、おなかの子に障ることを忘れて、傘も持たず、びしょ濡れの体をなお雨の鞭に任せながら、うらぶれて歩いているそんな芳子の姿を、グッドモーニングの銀ちゃんは人力車の上から見た途端、はっと胸を突かれて、同じ人力車に相乗りしている坂野の手前がもしなかったとすれば、呼びとめたい程のなつかしさにしびれ、もはや芳子のあわれさは、芳子が持っているどんな女のいやらしさも、銀ちゃんの心から消してしまっていた。
が、坂野は芳子には気づいていなかったようだし、まさか呼びとめも出来ず、みるみる遠ざかって行くうちに、銀ちゃんはふと、
「ひょっとすれば、もう二度とあの女に会えないのではなかろうか」
という予感に襲われた。そして、夜具の中に見つかった針の先のように、チクリと胸をさす寂しい旅情にも似たこの予感に揺れているうちに、車夫が俥の梶棒をおろしたのは、警察署の裏手の怪しげなしもた家の前だった。門燈の色が医院の門燈のように赤かった。
「なんだ、赤提灯か」
温泉場などでは、怪しい女のいる家には目印の赤い門燈がついていて、赤提灯という通称が春を売る商売の代名詞になっていたのだ。
「まア上っておみやす。お銚子づきで一枚にしては……」
引揚げの女ばかりだから、びっくりするようないい女がそろっている――という車夫の言葉ほどではなかったが、主人じみたいやらしい女はいなかった。しかし、銀ちゃんは、
「酒だ、酒だ、酒がなけりゃアルプでもいいや」
と、女には見向きもせず、やがて運んで来た冷の酒を一口のんでみて、顔をしかめた。
「――こいつアひでえキャッキャッ酒だ」
「銀ちゃん、メチルではにゃアですかね」
「そうかも知んねえだ。ふんに、おったまげた酒じゃにゃアか。おら、いっそ死ぬべいか」
冗談口を利きながら、銀ちゃんは平気で飲んでいた。
八
ちょうどその頃――というのはつまり、坂野と銀ちゃんが警察署裏の怪しげな家で怪しげな酒を飲み出した頃、京吉は再び陽子のアパートの階段を登りながら、
「芳ッちゃん、ばかだなア!」
おれの停めるのもきかずに、一人でさっさと行っちゃうなんて、今夜泊る所あるのかい……と、呟いていた。
もっとも、本気で連れ戻したい肚もなかったのだ。一応ひき停めたことは停めたし、あとも追い、探してみたのだが、すぐ見失ってしまうと、もうそれが一人で陽子のアパートへ戻って来る自分への口実になってしまったのだ。
持前の放浪性が、時と場合で走馬燈のようにぐるぐると京吉の気持を変らせるのは、いつものこととはいいながら、しかし、人恋しさと親切な気持からさっきまではあれ程なつかしく、いたわりもしていた芳子を、急に見捨てる気持になったのも、実に陽子の声をドア越しに聴いたという現金な気持からであろう。しかし、このエゴイズムに気づかぬほど、京吉には孤児の感情が身につきすぎていた。
はじめは芳子をだしにして陽子の部屋に泊めて貰おうと思ったくらい、細かい神経を使いながら、急に馴れ馴れしい図太い神経になって、いけしゃアしゃアと一人で戻って来たというのも、やはり同じ孤児の感情からで、いったん泊めてくれるものと信じ込
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