一緒にさっさと行ってしまわれても、もう構わない。とにかく、会いたかった。
 祇園荘というマージャン屋も探して行ってみた。が、いなかった。隅の卓子で、主人夫婦らしい二人が、マージャン屋もあっちこっち出来すぎて、共倒れになりはしないかという夜更けの顔を向け合って、新聞を読んでいるだけ、あとは客もいなかった。
 雨の中を往ったり来たり、そのたびに一つずつ灯の消えて行く四条通りを河原町通りへ折れると、カラ子の足は自然セントルイスへ向いていた。
 セントルイスの戸は閉り、中は暗かった。軒下にたたずんで、カラ子はそっとその戸をたたいた。

      二

「おばちゃん!」
 と、呼んでみたが、返事はなかった。暫くして、また戸をたたいた。そして、セントルイスの前をはなれて、カラ子は雨に煙る木屋町の灯の方へ歩き出したが、急に踵をかえして、しかし、トボトボとその横丁をセントルイスの軒下へ戻って来た。
「おばちゃん!」
 こんどはもっと大きく、ずり落ちるスカートの紐をひきあげながら声を掛け、戸はたたかず、ガタガタとひっぱりながら、無理にこじあけようとしていると、酒くさい息がふっと上から落ちて来て、
「誰……?」
 声は女だったので、そんなにびくっとせず、カラ子は黙って見上げると、よろよろ寄り掛って来て、
「なアんだ、君、京吉君の恋人……? おほほ……」
 けたたましい笑い声はいつもの夏子だったが、しかし、今夜のセントルイスのマダムはいつになくぐでんぐでんに酔っていた。リベラルクラブの帰りであろうか、チャラチャラとした軽薄な身振りは、しかし、悔恨の色にぐっしょり濡れて、傘も持たなかった。
「君、今頃どうしたの……? 忘れもの? 京吉君を忘れたの……?」
 夏子はカラ子の肩につかまって、ハンドバッグから合鍵を出そうとする手を泳がせていた。
「おばちゃん、京ちゃんどこへ行ったのか知らん……?」
 ねえ、教えてよと、カラ子はもうキンキンした声だった。
「京ちゃんか……? 京ちゃん東京へ行っちゃったよ……おほほ」
 口から出任せだったが、しかし、京ちゃんなんか東京へ行ってしまえという夏子の気持が、そう言わせていたのかも知れない。
「――一緒にリベラルクラブに行ってくれたら、こんなことにならなかったんだ。いや、あたしはね、おほほ……、京ちゃんとだったらこんなみじめな気持にならなかったわよ。おほほ……。安ブランデーか、安ホテルか、ガタピシのベッドか、おほほ……。髭をはやしてやがった。髭をはやした男大きらい! あたしは刺戟のある男はきらい! あいつひどい腋臭だった。ほら、まだあたしの手にしみこんでる!」
 ペッペッと、右の手に唾を掛けて、げっぷをしていた。
「おばちゃん、お酒のんだの……?」
「のんだよ。おばちゃんはもうあかん! おばちゃんは汚れちゃった。おほほ……。でも、いいわよ。あたしは自由、リベラルクラブよ。おほほ……。京ちゃんは東京へ行っちゃったよ」
「ほんとね……?」
 あたいも東京へ行く――と、カラ子はさいならという声を残して、横丁を出た足で河原町通りを京都駅の方へ歩いて行った……。
 雨はなお降りやまなかった。その雨の中を、京吉と芳子がちょうどその頃、三条から二条へ一つ傘で歩いていたのを、むろんカラ子は知らなかった。

      三

 黙々として、京吉と坂野の細君の芳子は歩いていた。何のために、そうして、まるで恋人同志のように、肩を並べて歩いているのか、京吉にはわけが判らなかった。
 夕方、セントルイスの前で、祇園荘へ行ってグッドモーニングの銀ちゃんに会うという芳子を、拝むように停めたのは、祇園荘には芳子の亭主の坂野がおり、芳子がそんなところへはいって行けば、どんな結果になるかも知れない――という京吉の二十三という歳に似合わぬ老婆心からだったが、やっと芳子を説得してみると、もう芳子は、
「あたし、じゃ、どうすればいいの……?」
 と、駄々をこねたように、動かない。動かないだけならいいが、道の真中で、
「――いいわ。あたし泣いてやるから……」
 と、本当に泣いてやるからと本当に泣き出してしまいそうだった。
「女というものは、どだい男を困らせるように出来てやがらア。だから、おれきらいだよ」
 京吉はスリのあとをつけて行ったカラ子のことも気になっていたし、芳子など放って置いて、逃げ出したかったが、もともと京吉は自分の女以外には優しく、お人善しで、それがまた京吉の孤独なあわれさであった。
「芳ッちゃん、そんなに言うなよ。芳ッちゃん泣くと、おれ困るよ」
「じゃ、どうすればいいの……?」
「おれ知るもンか」
 坂野のアパートへ帰れとも言えなかったし、といって、グッドモーニングの銀ちゃんの所へ行けとも言えなかった。しかし芳子は、おれ知るもんかという京吉の言
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