かし、この妾は旦那の大阪や蘆屋が焼けてしまうと、にわかに若がえって、無気力な古障子を張り替え、日本一の美人になってしまった。そして大阪や蘆屋の本妻は亭主の昔の妾を相手に、商売しなければならなくなったのだ。
背に腹は代えられぬ情なさだが、しかし「セントルイス」は女の経営にしては、万事大まかに穴があいて、ちゃっかりした抜け目のなさが感じられぬのは、さすがに本妻の気品で、他の京都人経営の喫茶店を嗤っているところもあり、
「おれ京都がいやになったよ」
と、京吉が言いに行くには、ふさわしい店でもあった。
金文字のはいった扉を押すと、十球の全波受信機がキャッチしたサンフランシスコの放送音楽が、弦楽器の見事なアンサンブルを繊細な一本の曲線に流して、京吉の足は途端に、リズミカルに動き出した。が、
「京ちゃん、今電話掛ったわよ」
「誰から……?」
「陽子さん!」
ときくと、はっと停った。
六
「なアんだ」
陽子から掛って来たのかと、わざと興冷めていたが、さすが甘い胸さわぎはあった。
「京ちゃんのリーベ……? マダム、それともメッチェン……? マイ、ダアーリングね」
バーテン台の中にいる夏子は、舌を噛みそうな外国語を、ガラガラした声で言って、不器用な手つきで京吉の肩をぶった。そして京吉の連れて来た娘が、白い眼をキッと向けたのも気づかず、いきなりけたたましい笑い声を立てた。
声も大きいが、身振りも大げさで、何か身につかぬ笑い方だった。藍色の上布を渋く着ているが、頭には真紅の派手なターバンを巻いている――そのチグハグさに似ていた。
しかし、夏子はこのターバンを思い切って巻くようになってから、急にうきうきした気分になったのだ。そんな自分が不思議でならなかった。
夏子の夫は歯科医で、大阪の戎橋附近の小さなビルの一室を診療所に借りて、毎日蘆屋から通っていた。夏子は歯科医などを莫迦にして嫁いだのだが、歯科医のボロさは夏子を蘆屋のプチブルの有閑マダムの仲間へ入れてくれた。
しかし、夏子はもともと引っ込み思案で、応召した夫が戦死したのちも、六つになる男の子と昔かたぎの姑と、出戻りの小姑と一緒に暮すつつましい未亡人ぶりが似合う女であった。ガラガラしたしわがれた声や、人一倍大きく突き出した鼻も、案外彼女のさびしい貞淑さを裏切っていなかった。
代診を雇ってやらせていた医
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