らして下さい)か。ばかにしてやがる。いや、手紙よりも、木崎さん、一寸これ見て下さい」
 細君が出しなにたたき割って行った買いだめの注射薬のアンプルのかけらを、坂野は見せ、土色の顔を一層土色にして、ふぬけていたが、やがてエヘッと笑うと、
「印籠みたいなもンでさあ」
 と、ポケットからヒロポンの箱を出して来た。
「――これだけは肌身はなさず。エヘッ……。これがないと、アコーディオンも弾けませんや。何はともあれ……」
 まず一本……と、二CC、針のあとだらけの腕に打って、ペタペタたたいた。
「僕にも打って下さい」
 坂野を慰める最上の方法はこれだと、木崎は腕を出したが、一つにはヒロポンを打って、徹夜で陽子と茉莉の写真を現像しようと思ったのだ。
「チマ子に触れないためにも……」
 現像をすることだ――と、つぶやいて、やがて木崎は部屋へ戻ってみると、チマ子はいつの間にかいなくなっていた。
 そして、暗室へはいると、そこへ置いた筈のライカが見当らず、暗がりの中でただ夜光時計の青い針が十一時二十分をひっそりと指していた。


    貴族

      一

「十一時二十分ですわ。もう……」
 時間をきかれて、貴子はむっちりと贅肉のついた白い腕を、わざと春隆の前へ差し出した。――田村の二階の一室である。
 貴子は一日に五度衣裳をかえたが、土曜日の夜は、白いショートパンツに白いワイシャツという無造作な服装になることが多かった。男の子のように色気のない服装だが、それがかえって四十女の色気になっていると、この田村の女将は計算していた。
 長襦袢の緋の色で稼げる色気の限界なぞたかが知れている――というのが、十五年前銀座の某サロンのナンバーワンだった頃から今日まで、永年男相手の水商売でもまれて来たこの女の、持論であった。
「エロチシズムよりもエキゾチシズムだわよ」
 大阪でバーを経営していた頃、貴子が女給たちに与えた訓戒である。が、女給たちはその意味が判らなかった。銀座式のハイカラさが大阪では受けるのだと思ったのは、まだいい方で、たいていは外国映画のメーキャップを模倣し、エキゾチシズムとはアイシャドウを濃くして、つけ睫毛を太くすることだと考えたので、グロテスクな効果だけ残って、失敗した。
 貴子が言ったのは、白いショートパンツに白いワイシャツの魅力であった。が、このような服装が成功するには
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