醜さとは、醜さを意識しない官能の脆さ、好奇心!
しかし、このあわれさと醜さが、木崎の描く夜のポーズの主題だ。そして、そんなデカダンスの底に、亡妻への嫉妬がうずいているのだ。好色ではなかった。
だから、何を考えてるのかときかれて、チマ子が、
「……監獄にいたはるお父さんのこと……」
と、ぽつりと言って、ふっと深く吸い込んだ煙を輪にして吐き出しながら、その消えて行く方に放心したような視線を向けているのを見ると、木崎ははっと手をひっこめて、もうチマ子が抱けなかった。
その時、廊下に足音がして、
「木崎さん、只今ア!」
と、声が来た。
六
声ですぐ、隣の部屋の坂野という楽師だと判った。
ホールがひけて帰って来たのであろう。いつもより不健康に濁った声が、夜更けの時間と、肩に掛けたアコーディオンの重さをガラガラと無気力に響かせていた。
「あ、お帰り……」
と、木崎は頓狂な声を出したが、その声も何か浅ましくふるえて、不健康であった。
醜く昂奮していたのが判り、情なくなっていると、やがて、
「木崎さん、木崎さん!」
ちょっと来て下さいと、再び坂野の声がして、その頓狂な声も浅ましくふるえていた。マージャンに誘う声にしては、何かあわただしく取り乱している。
木崎はチマ子の枕元から起ち上って、キラッと光る素早い視線を背中に感じながら、
「どうかしたんですか」
と、坂野の部屋へはいって行った。
「女房が逃げました」
わりに上手な、しかし右肩下りの字で、置手紙があった。
「……ヒロポン中毒とは一しょに暮していけません……」云々。
ヒロポンは鎮静催眠剤とは反対に、中枢神経を一時的に刺戟して、覚醒、昂奮させる注射薬だが、坂野はもと「漫談とアコーディオン」を売物に舞台に出ていた頃から、この味をおぼえたらしく、煙草を吸うように、ひんぱんにこの劇薬を注射していて、その量と回数は、さすがの木崎もあきれていた。木崎があきれるくらいだから、坂野の細君は、
「十本入り二十三円でしょう。それを二箱も打つ日があるんですから、たまりませんわ。ヒロポン代だけでサラリーが……」
飛んじゃいますわと、こぼしていたが、到頭逃げてしまったらしい。――米よりもまず注射薬を買い、米は買えなかったのだ。
「畜生! ひでえアマだ。(あなたは坂野医院の看板を出して、毎日注射して幸福にく
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