うに光った。
 木崎は自分の心の底を覗くように、レンズを覗いた。レンズの向うには、陽子のさまざまな姿態があった。が、三日目の今日まで、ついぞ一度もシャッターを切らなかった。
 気に入った構図が見つかるまで、めったにフイルムを使おうとしない、名人気質的な、ふと狂気じみた凝り方は、いつものこととはいうものの、しかし、いつもの彼ならいそいそと撮ったようなポーズにも強く反撥していたのは、一体何であろう。
 木崎の顔は憂愁の翳が重く澱んで、いらいらと暗かった。が、何を思ったのか、急に起ち上ると、木崎は階段の中程に突っ立った。
 そして、陽子へ向けたライカのシャッターを切った途端、一人のダンサーが声も立てずに、いきなり床の上へ崩れるように、倒れた。

      二

 まるで、わざとのような偶然であった。
 木崎のライカがカチッとシャッターの音を立てたのと、そのダンサーの体が崩れるように床の上へ倒れたのと、殆んど同時――というより、むしろ、シャッターの音が防音装置のピストルのかすかな音のように、彼女を倒した――と言ってもいいくらいだった。
 木崎も驚いたが、客もダンサーも、そして楽師もあっと思った。
 バンドの調子は、いきなり崩れた。
 一階のホールの正面の演奏台ではスウィングバンド、二階の廊下から突き出したバルコニー風の演奏室にはタンゴバンド――この二つのバンドが交替で演奏するのだが、丁度その時はタンゴバンドの番だった。
 曲はクンパルシータ。
 みんな知っている曲ゆえ、一層その崩れ方が判った。が、楽師はあわてて調子を取り戻した。昨日までいてよそのホールへ引っこ抜かれたバンドの代りに、今夜から新しく雇い入れられたバンドだった。いわば初演奏だ。だからすくなくとも今夜はおかしいくらい熱心だった。しかし、取り戻した調子を張り上げた時は、もう誰も踊っている者はなかった。
 ステップをすっと引き寄せてから、その反動でぐっと女の体を押して行く――いわば情熱的にアクセントの強いタンゴの中でも、クンパルシータの曲は誰も踊りたがり、お茶を引いて椅子に「カマボコ」になっているダンサーすら、同じカマボコさんをつかまえて、女同士で踊っていたくらいだが、しかし倒れた茉莉の顔は、余りに青すぎた。
 ただごとではない。
「醜態だね。転ぶのはまだ早いや。宵の口じゃないか。不見転ダンサーか。誰なんだい」
 
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