彼女の褐色を帯びたうるんだような瞳が、妖しく笑った。そして、
「あたしに会いたければ、銀座のアルセーヌにいらっしゃい」
という言葉を残すと、三等室の中へすらりと伸びた姿を消してしまった。
章三は洗面所の中へはいると、鏡に顔を写した。青ざめた顔にふっと微笑がうかんだ。
走馬燈
一
四条通りの夜更けの底を雨が敲いていた。
米原の駅の近く、汽車のデッキから突き落されて、ひと知れず死んで行った名も知れぬ男の、土人形のように固くなった屍の上に降り注ぐ同じ雨が、夜更けの京都の町をさまよう哀れな人々の、孤独に濡れた心にも降り注いでいるのだ。
つい四五日前までは夏のようであったが、町中のお寺の前の暗がりにふと金木犀のにおいを光らせて降る雨は、はや一雨一雨冬に近づく秋の冷雨だった。
ぶるッと体をふるわせて、カラ子は四条通りの交叉点を河原町通りへ折れて行った。
背中のくぼみや腋の下まで、びっしょりと雨に濡れながら、なおさまよっているのは、京吉を探したい一心からであった。
今日の夕方、京吉の財布を掏った北山を大阪の中之島公園までつけて行って、首をしめられそうになったが、拘置所の脱走さわぎのドサクサで危く助かった。ほっとしたものの、しかし、同時に北山を見失ってしまうと、もうカラ子は京吉に会わす顔のない想いに、がっかりしてしまうのだった。
自分ひとりの力でスリをつかまえて、京吉にひき渡す時の喜びの期待に燃えて、チョコチョコ大阪までつけて来たのだが、今はその喜びも空しく、京吉のいる京都へトボトボ帰って来た足は、雨に濡れた心のように重かった。
しかし、京都へついたその足でセントルイスへ来てみると、むろん京吉はいなかった。マダムの夏子も、誰かとアベックでリベラルクラブの発表会へ行ったのか、店にはいなかった。
「兄ちゃんからことづけは……」
「ないわよ」
と、店の女の子は、日曜の夜は北野で待ち合わす男がいるのに、マダムの夏子がいつまでたっても帰って来ないので、出掛けられず、いらいらしていたのか、真赤に塗った唇が冷淡だった。
すごすごとセントルイスを出ると、カラ子は無性に京吉に会いたくなった。
「兄ちゃん、かんにんえ」
スリを逃がしたの――と、一言顔を見てあやまれば、
「ばかッ!」
と、横面を殴られて、おめえなんかもう絶交だと、坂野の細君の芳子と
前へ
次へ
全111ページ中98ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング