れることすら避けたかったくらい、それはどんな健康な人間でもそこに住めば病気になってしまうだろうと思われた、それほど陰気な部屋であった。佐伯はそのなかに蝸牛のように住みついていたのである。その部屋はアパートの裏口からはいったかかりにあって、食堂の炊事場と隣り合っていた。床下はどうやらその炊事場の地下室になっているらしく、漬物槽が置かれ、変な臭いが騰ってきてたまらぬと佐伯は言っていた。食堂の主人がことことその漬物槽の石を動かしている音が、毎朝枕元へ響いて来る。漆喰へ水を流す音もする。そのたびに湿気が部屋へ浸潤して来るように思われたと言う。それがなくても、いったいが湿気の多いじめじめした部屋であった。日の射さないせいもあろう。年中敷きっぱなした蒲団をめくると、青い黴がべったりと畳にへばりついていた。銀色の背中をした名も知れぬ虫がさかんに飛びまわる。蜘蛛の巣は勿論である。掃除をしたことがないのだ。アパートの女中が見兼ねて掃除をしてやろうと言っても、なにか狼狽して断ってしまうらしい。私はいつ訪ねてもきっと足袋の裏と鼻の穴を黒くして帰った。猫の額のような中庭に面して小窓がひとつきりあるのだが、窓と
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