右へ折れて三間ばかし行くといきなりアスファルトの道が横に展けていてバスの停留所があった。佐伯の勘は当っていた。そこから街へ通うバスが出るのだった。停留所のうしろは柔術指南所だった。柔道着を着た二人の男がしきりに投げ合いをしていた。黒い帯の小柄な男が白い帯のひょろ長い男を何度も投げ飛ばした。そのたびドスンドスンと音がした。あんな身体になれば良いと佐伯は羨ましく眺め、心に灯をともしながらバスが迂回するのを待った。
 帰りもバスだった。柔術指南所はもう寝しずまっていた。原っぱには誰もいなかった。一本道の前方にかすかにアパートの灯が見えた。遠い眺めだった。佐伯は街で買って来た赤い色の水歯磨の瓶を鼻にくっつけながら歩いた。その匂いが忘れていた朝を想い出させた。あたりの暗闇が瓶の色に吸いこまれ、佐伯の心は新しい道を発見したというよろこびに明るかった。だが、佐伯はいきなりぎょっとして立ちすくんだ。どこからかヒーヒーと泣き苦しむ声がかすかに聴えて来たのだ。佐伯は暗がりに眼をひからせた。道端に白い仔犬が倒れているのだった。赤い血が不気味などす黒さにどろっと固まって点点と続いていた。自動車に轢《ひ》かれた
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