道なき道
織田作之助
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)寿子《ひさこ》は
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一
その時、寿子《ひさこ》はまだ九つの小娘であった。
父親が弾けというから、弾いてはいるものの、音楽とは何か、芸術とはどんなものであるか、そんなことは無論わかる道理もなく、考えてみたこともなかった。
また、石にかじりついても立派なヴァイオリン弾きになろうという野心も情熱もなかった。そんな野心や情熱の起る年でもなかった。ただ、父親が教えてくれた通り弾かねば、いつまでも稽古がくりかえされたり、小言をいわれたりするのが怖さに、出来るだけ間違えないようにと鼻の上に汗をかいているだけに過ぎなかった。――ヴァイオリンを弾くことが三度の飯より好きなわけでは、さらになかったのだ。むしろ、三度の飯を二度に減らしてまで弾かされるヴァイオリンという楽器を、子供心にのろわしく、恨めしく思っていた。父親はよく、
「ヴァイオリンは悪魔の楽器だ」
と言い言いしていたが、悪魔とはどんなものであるかは良くは判らないままに、何となくうなずけた――それ位、ヴァイオリンが嫌いで怖くもあった。
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