いさな手に力をこめて、弾いていた。額の汗が眼にはいるので、眼を閉じ、歯をくいしばり、必死のようであった。が、心はふと遠く祭の方へ飛ぶ瞬間もあった。
曲は「チゴイネルヴァイゼン」――七つの春、小学校にはいった時から、ヴァイオリン弾きの父親を教師に習いはじめて、二年の間に、寿子はもうそんな曲が弾けるようになった位きびしく仕込まれていたのだ。
父親の庄之助は、ステテコ一枚の裸になって、ピアノを弾いていたが、ふと弦から流れる音の力強い澄み切った美しさに気がつくと、急に眼を輝かせた。そして唸るような声が思わず出た。
「寿子、今の所もう一度弾いてみろ」
「うん」
寿子は、自分が弾き間違ったので注意されたのだ、と思い込みながら、ベソをかいたような顔でうなずいて、再び弾きだした。ジプシイの郷愁がすすり泣くようなメロディとなって、弦から流れた。九つの少女の腕が弾いているとは思えぬくらい力強い音であった。
それは、かつて寿子のヴァイオリンから聴けなかったものだった。いや、教えている庄之助自身、このような音が一度だって出せたかどうか。まるで通り魔のような音であった。
庄之助はまるで自分の耳を疑うかのように、キョトンとして、暫く娘の蒼白い顔を見つめながら何やらボソボソ口の中で呟いていたが、やがて何思ったか、
「寿子、生国魂さんへお詣りしよう」
と言った。
「パパ、ほんまか」
寿子はあわててヴァイオリンをピアノの上に置くと、隣の部屋へかけ込んで、汗だらけのシュミーズの上に、よれよれの、しかし花模様のついたワンピースを着た。
二
上本町七丁目の停留所から、西へ折れる坂道を登り詰めると、生国魂の表門の鳥居がある。
その鳥居をくぐって、神社まで三町の道の両側は、軒並みに露店が並んでいた。
別製アイスクリーム、イチゴ水、レモン水、冷やし飴、冷やしコーヒ、氷西瓜、ビイドロのおはじき、花火、水中で花の咲く造花、水鉄砲、水で書く万年筆、何でもひっつく万能水糊、猿又の紐通し、日光写真、白髪染め、奥州名物孫太郎虫、迷子札、銭亀、金魚、二十日鼠、豆板、しょうが飴、なめているうちに色の変るマーブル、粘土細工、積木細工、豆電気をつけて走る電気仕掛けの汽車、……どれもこれも寿子の眼と口と耳を惹きつける店ばかりであった。
が、庄之助はどの店の前にも立ち止ろうとせず、寿子の手をひっ
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