と無茶苦茶なほめ方だった。
 ローゼンシュトックは、
「あの子は悪魔の子だ」
 と、呟いた。
 相手が十三歳の子供だというので、ほめる方でも子供のように、落ち着きを失っていた。
 庄之助が懐の金を心配しながら、寿子と二人で泊っていた本郷の薄汚い商人宿へは、新聞記者やレコード会社の者や、映画会社の使者や、楽壇のマネージャー達がつめかけた。
 彼等は異口同音に「天才」という言葉を口にした。すると、庄之助は何思ったか、急にけわしい表情になって、
「天才……? 莫迦莫迦しい。天才じゃありません。努力です。訓練です。私はもう少しでこの子を殺してしまうところでした。それほど乱暴な稽古をやったのです。ところが、この子は運よく死ななかっただけです。天才じゃありません。寿命があったんですよ。それだけです」
 食って掛るような口調だった。そんな口調のかげには、かつて自分の稽古がきびし過ぎたために、弟子が寄りつかなくなったという想出の恨みが、籠っていた。「津路式教授法」を不当に扱って来た世間というものに対する反逆心も含まれていた。そしてまた、寿子がもし天才だけで現在のようになったとすれば、この数年間、自分が生活のすべてを犠牲にして来たことが無意味になるではないか、という気持もあった。彼はただ現在の寿子を、自分の音楽への情熱の化身と思いたかったのである。
 しかし、こんな庄之助の言い方は、相手を気まずい気持にさせた。おまけに、相手が寿子の演奏会やレコード吹き込みの話を持ち出すと、庄之助は自分から演奏料の金額を言い出して、
「鐚一文かけても御免蒙りましょう」
 と、一歩も譲らなかった。
 それは、一少女の演奏料としては、相手を呆れさせる、というより、むしろ怒らせるに足る程の莫大な金額であった。
 しかし、その金額や、その一歩も譲らない態度は、庄之助自身を不遇な音楽的境遇に陥れた楽壇への復讐であった。
 そしてまた、楽壇の腐敗した空気に対する挑戦でもあった。かつての音楽家はつねにマネージャーやレコード会社の社員の言いなりになり、誇張していえば、餌食になっていた。音楽家はそれらの人々の私腹を肥すことに努力することによって、辛うじて演奏にありついて来たのである。
 ところが、相手はそんな庄之助を見て、あっけに取られてしまった。
「さすが大阪の奴は、金のことにかけると汚いわい」
 と、思ってみたり
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング