も、あながちに主催新聞社の宣伝ばかりではなかつた。
「十六年間、一切の対局から遠ざかつてましたけど、その間一日として研究をせん日はおまへなんだ。ま、坂田の将棋を見とくなはれ。」と戦前豪語した手前でも負けられぬ将棋である。六十八歳の老人とは思へぬこの強い詞は、無論勝つ自信をほのめかした詞であらう。が、ひとつにはそれは、木村・花田を選手とする近代将棋に対して、坂田がいかに奇想天外の将棋を見せるか、見とくなはれといふ意味も含んでゐた。大衆はこの詞に唸つた。
 ともかく、昭和の大棋戦であつた。持時間からして各自三十時間づつ、七日間で指し終るといふ物々しさである。名人位獲得戦でさへも、持時間は十三時間づつ、二日で勝負をつけてゐる。対局場も一番勝負二局のうち、最初の一局の対木村戦は、とくに京都南禅寺の書院がえらばれて、戦前下見をした坂田が、
「勿体《もつたい》ないこつちや、勿体ないこつちや、これも将棋を指すおかげだす。」と言つたといふくらゐ、総|檜木《ひのき》作りの木の香《か》も新しい立派な場所であつた。
 けれども、私も京都に永らく居たゆゑ知つてゐるが、対局を開始した二月五日前後の京都の底冷えと
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