近発見した。口は喋るためのみについているのではあるまい。議論している間、欠伸ばかししているか、煙草ばかしふかしておれば、相手は兜を脱ぐにきまっている。
 墓銘など、だから私はまかり間違っても作らないつもりである。よしんば作っても、スタンダールのように、
「生きた、書いた、恋した」
 というような言葉を選べるほど、私は充実した人生を送って来なかった。まかりまちがって墓銘を作るとすれば、せいぜい、
「私は煙草を吸った」
 と、いう文句ぐらいしか出て来ないであろう。これで十分である。私は煙草を吸って来たのだ。
 もっとも、そのような文句では余りに芸がないというなら、
「煙草について、私の唯一の制限は、一回に一本より余計の煙草を吸わないことであった。私はけっして眠っている間は吸わなかった。そして、眼ざめている間は、けっしてそれを捨てなかった」
 とでもすれば、気が利いているだろうか。しかし、之はマーク・トゥエーンの言葉である。
 マーク・トゥエーンという作家は私の読んだ限りでは大した作家ではない。まだしもオー・ヘンリーやカミの方が才能があるが、しかし、オー・ヘンリーやカミといえども二流、三流で
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