ついているような男は、配偶者としては、だめである」
という意味の横光さんの言葉を読んで、どきんとしたことがあるが、実は私は横光さんのいわゆるだめな男なのである。私はどんなに寝足りた時でも、眼をさましてから半時間、時に一時間も二時間も、寝床の中でぐずついている癖がなおらない。煙草を吸っているのである。四五本、多くて一箱、朝の床で立てつづけに吸わぬうちは、どんなに急ぎの用事があっても、時間が迫って来ても、私は起きる気にならない。
私は昔も今も夢のない人間だ。「生きた、恋した、書いた」というスタンダールの生き方にあこがれながら、青春を喪失した私は、「われわれは軽佻か倦怠かのどちらか一方に陥ることなくして、その一方を免れることは出来ない」
というジンメルの言葉に、ついぞ覚えぬ強い共感を抱きながら、軽佻な表情のまま倦怠しているのである。前途に横たわる夢や理想の実現のために、寝床を這い出して行く代りに、寝床の中で煙草をくゆらしながら、不景気な顔をして、無味乾燥な、発展性のない自分の人生について、とりとめのない考えに耽っているのである。
そして、それが私にとって楽しいわけでもなんでもないのだ
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