の「枯木の夢」に出て来る大阪弁はやはり純大阪弁でなくて大和の方の言葉であり、「人間同志」には岸和田あたりの大阪弁が出て来る。川端康成氏の「十六歳の日記」は作者の十六歳の時の筆が祖父の大阪弁を写生している腕のたしかさはさすがであり、書きにくい大阪弁をあれだけ写し得たことによってこの作品が生かされたともいえるくらいであるが、あの大阪弁は茨木あたりの大阪弁である。「細雪」の大阪弁、「人間同志」の大阪弁、「十六歳の日記」の大阪弁は、すべて純大阪弁より電車で三十分ぐらいの距離にある大阪弁であり、それがそれぞれはっきりと区別されるニュアンスの違いを持っているところに、大阪弁を書くむつかしさがあり、そしてまた、大阪の人たちがそれぞれの個性で彼等の言葉を独自に使っている点に、大阪弁が紋切型で書けない理由があるのだ。
言葉ばかりでなく、大阪という土地については、かねがね伝統的な定説というものが出来ていて、大阪人に共通の特徴、大阪というところは猫も杓子もこういう風ですなという固着観念を、猫も杓子も持っていて、私はそんな定評を見聴きするたびに、ああ大阪は理解されていないと思うのは、実は大阪人というものは一定の紋切型よりも、むしろその型を破って、横紙破りの、定跡外れの脱線ぶりを行う時にこそ真髄の尻尾を発揮するのであって、この尻尾をつかまえなくては大阪が判らぬと思うからである。そして、その点が大阪の可能性であるというこの稿のテエマは、章を改めてだんだんに述べて行くつもりである。
底本:「定本織田作之助全集 第八巻」文泉堂出版
1976(昭和51)年4月25日発行
1995(平成7)年3月20日第3版発行
初出:「新生」
1947(昭和22)年1月
※疑問点の確認にあたっては、「織田作之助選集 第五卷」中央公論社、1948(昭和23)年8月10日発行を参照しました。
入力:桃沢まり
校正:小林繁雄
2007年5月2日作成
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