ドの指揮もし、デザインをやるという奇術師のようなジャン・コクトオですら、小説を書けば極くあたり前の紋切型の小説を書いている。描写があり会話があり説明がありしめくくりがあり、ジャン・コクトオも小説となると滅茶苦茶な型破りは出来なかったのであろう。
人生もまたかくの如し。生きて行くにはいやが応でも社会の約束という紋切型を守って行かねばならない。足で歩くのが紋切型でいやだといって、逆立ちして歩けば狂人扱いにされるのだ。極道をし尽したある老人がいつか私に、「私は沢山の女を知って来たが、女は何人変えても結局同じだ」といったことがある。「抱いてみれば、どの女の身体も同じで、性交なんて十年一日の如き古い型のくりかえしに過ぎない。変態といっても、人間が思いつく限りの変態などたかが知れていると見えて、やはり変態には変態の型がある」とその老人は語っていたが、数多くの女を知らない私にもその感想の味気なさは同感された。
人生百般すべて紋切型があるのだ。型があるのがいけないというわけではないが、紋切型がくりかえされると、またかと思ってうんざりすることはたしかである。ベルグソンは笑の要素の一つに「くりかえし」
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