見出しがついていたが、その見出しの文句は何か不愉快であった。私は江戸ッ子という言葉は好かぬが、それ以上に浪花ッ子という言葉を好かない。焦土の中の片隅の話をとらえて「浪花ッ子の意気」とは、空景気もいい加減にしろといいたかった。「起ち上る大阪」という自分の使った言葉も、文章を書く人間の陥り易い誇張だったと、自己嫌悪の念が湧いて来た。

      四

 ところが、戦争が終って二日目、さきに「起ち上る大阪」を書いた同じ週刊雑誌から、終戦直後の大阪の明るい話を書いてくれと依頼された時、私は再び「花屋」の主人と参ちゃんのことを書いた。言論の自由はまだ許されておらなかったし、大阪復興の目鼻も終戦後二日か三日の当時ではまるきり見当がつかず、長い戦争の悪夢から解放されてほっとしたという気持よりほかに書きようがなかったので「花屋」のトタン張りの壕舎にはじめて明るい電燈がついて、千日前の一角を煌々と照らしているとか、参ちゃんはどんな困苦に遭遇しても文化の糧である書籍を売ることをやめなかったとか、毒にも薬にもならぬ月並みな話を書いてお茶をにごしたのである。
 そして、そんな話しか書けぬ自分に愛想がつきてし
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