しまった。
「千日堂」はもう飴を売らず、菱の実を売ったり、とうもろこしの菓子を売ったり、間口の広い店の片隅を露天商人に貸して、そこではパンツのゴム紐や麻の繩紐を売ったりしていた。向いの常盤座は吉本興業の漫才小屋になっていた。
大阪劇場の裏の地蔵には、線香の煙の立つことが稀になり、もう殺された娘のことも遠い昔の出来事だった。
夜は警防団員のほかに猫の子一匹通らぬ淋しい千日前だった。私は戦争のはじまる前から大阪の南の郊外に住んでいたが、もうそんな千日前は何か遠すぎた。
ところが去年の三月十三日の夜、弥生座も「花屋」も「浪花湯」も大阪劇場も「千日堂」も常盤座も焼けてしまったが、地蔵だけは焼け残った。しかし焼け残ったのがかえって哀れなようだった。
その日から十日程たって、千日前へ行くと「花屋」の主人がせっせと焼跡を掘りだしていて、私の顔を見るなり、
「わては焼けても千日前は離れまへんねん」
防空壕の中で家族四人暮しているというのである。
「――鰻の寝間みたいな狭いとこでっけど、庭は広おまっせ」
千日前一面がうちの庭だと、「花屋」の主人は以前から洒落の好きな人だった。
暫らく立ち話
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