神経
織田作之助

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)源聖寺《げんしょうじ》坂を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)三※[#小書き濁点付き片仮名カ、321−上−4]日を
−−

      一

 今年の正月、私は一歩も外へ出なかった。訪ねて来る人もない。ラジオを掛けっ放しにしたまま、浮浪者の小説を書きながら三※[#小書き濁点付き片仮名カ、321−上−4]日を過した。土蜘蛛のようにカサカサの皮膚をした浮浪者を書きながら、現実に正月の浮浪者を見るのはたまらなかった。浮浪者だけではない。外へ出れば到る所でいやでも眼にはいる悲しい世相を、せめて三※[#小書き濁点付き片仮名カ、321−上−7]日は見たくなかった。が、ラジオのレヴュ放送を聴いていると、浮浪者や焼跡や闇市場を見るよりも一層日本の哀しい貧弱さが思い知らされた。
 近頃レヴュの放送が多い。元来が見るためのレヴュを放送で聴かせるというのがそもそも無理な話で、いかにも芸がなさ過ぎるが、放送局への投書によれば、レヴュ放送を喜んでいるファンもあるという。戦争中禁じられていたものを聴きたいという反動の現れだろうか。
 しかし私は「想出の宝塚名曲集」などという放送を聴いて、昔見たレヴュを想い出してみたが、こんなものを禁止したのもおかしいが、あわてて復活したり放送してみたりするほどのこともあるまいと思った。女の子が短いパンツをはいて腰を振ったり足を上げたりするだけでは、大したエロティシズムもないし、豪華だとか青春の夢だとかいって騒いでいたのもおかしい。所詮は子供相手のチャチな、毒にも薬にもならぬみすぼらしい見世物に過ぎなかったのではあるまいか。あんなものを豪華だといって誇っていた戦前の日本も、結局はけちくさい貧弱な国だったのかと、改めて情けなかった。豪華といってみたところで、宝塚のレヴュなぞたかだか阪急沿線のプチブル趣味の豪華さに過ぎない。同じ貧弱なら、新宿のムーラン・ルージュや浅草のオペラ館や大阪の千日前のピエルボイズ(これも浅草から流れて来たものだが)の方が、庶民的で取り済ましてないだけまだしも感じがよい。宝塚や松竹の少女歌劇は男の俳優は一人もいないが、思慮分別のある大の男が一生を託する仕事ではあるまい。レヴュが好きで、文芸部の仕事をしたり、作曲したり装置したりしている人も少くないが、本当に男子一生の仕事と思ってやっているのだろうか、疑わしく思う。「おお!」という間投詞を入れなければ喋れないようなレヴュ俳優の科白廻しを聴いていると、たしかにこれは男子の仕事ではないという気がするのである。
 科白廻しといえば、私は七つの歳にはじめて歌舞伎を見た時、何故あんな奇妙な喋り方をするのだろうかと、奇異な感がしたことを覚えている。高等学校へはいってから新劇を見たが、この時もまた、新劇の役者は何故あんなに喧嘩腰の議論調子で喋ったり、誰もかれも分別のあり過ぎるような表情をしたり声を出したりするのかと、不思議に思った。ところが、レヴュ俳優の科白廻しを聴くと、この方は分別のなさ過ぎる声だったので私は辟易してしまった。
 しかし、発声法に変梃な型があるのは、歌舞伎や新劇や少女歌劇だけではない。声の芸術でそれぞれの奇妙な型に陥ることから免れた例外は一つもないのである。むしろ、それぞれの型に徹したものが一流だといわれているくらいである。新派には新派の型があり、義太夫には義太夫の型、女剣劇や映画俳優の実演にも型があり、浪花節なども近頃は浪花節専門の声色屋が出来ている。講談、落語、漫才など、いうまでもない。ラジオと来た日には、ことに型が著しい。例えば放送員の話術など、日本国中の人間の耳が一人残らずたこになってしまうくらい、十年一日の型を守っている。放送物語の新劇俳優は例によって分別臭い殊勝な声を、哀れっぽく出してどんな物語もすべて悲しいものにしてしまうし、名人といわれる徳川夢声も、仏の顔も二度三度で「風と共に去りぬ」が宮本武蔵と同じ調子に聴える。放送劇の若い娘役は、いつもやけに快活で、靴下に穴のあいたような声を出し、色気があるのかないのか、いや色気などといういい言葉が勿体ないくらいだ。政府の大官はいかなる場合にも屏風と植木鉢を聯想させるような声を出す。座談会の出席者は、討論の相手とマイクとどちらの方へ話しかけていいのかうろうろ迷っているし、共産党員は威勢ばかりで懐疑のない声だ。放送演説の名人といわれていた故永田青嵐ですら、いつ聴いても「私は砕けて喋っていますよ」といった同じ調子が見え透いてうんざりさせられるし、この人を真似た某大官の演説は、砕けすぎて気を許したのか、お国言葉の東北弁ま
次へ
全8ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング