た娘も色の黒い娘だったという。金で買うたというものの、私は妓を犯したのだ。飴をくれるような優しい妓の心を欺したのだ。私の悔恨は殺された娘の上へ乗り移り、洋菓子やチョコレエトを買わず、駄菓子の飴を買うて、それでわびしい安宿の仮寝の床の寂しさをまぎらしていたところに、その娘の悲しい郷愁が感じられるような気がし、ふと私は子守歌を聴く想いだった。
 死んでから四日も人に知られずに横たわっていたのも、その娘らしい悲しさだった。
 大阪劇場の女優たちが間もなく楽屋裏の空地の片隅に、その娘の霊を葬う地蔵を祀ったと聴いた時、私はわざわざ線香を上げに行った。

      三

 戦争がはじまると、千日前も急にうらぶれてしまった。
 千日前の名物だった弥生座のピエルボイズも戦争がはじまる前に既に解散していて、その後弥生座はセカンド・ランの映画館になったり、ニュース館に変ったり、三流の青年歌舞伎の常打小屋になったりして、千日前の外れにある小屋らしくうらぶれた落ちぶれ方をしてしまった。
 小綺麗な「花屋」も薄汚い雑炊食堂に変ってしまった。
「浪花湯」も休んでいる日が多く、電気風呂も東京下りの流しも姿を消してしまった。
「千日堂」はもう飴を売らず、菱の実を売ったり、とうもろこしの菓子を売ったり、間口の広い店の片隅を露天商人に貸して、そこではパンツのゴム紐や麻の繩紐を売ったりしていた。向いの常盤座は吉本興業の漫才小屋になっていた。
 大阪劇場の裏の地蔵には、線香の煙の立つことが稀になり、もう殺された娘のことも遠い昔の出来事だった。
 夜は警防団員のほかに猫の子一匹通らぬ淋しい千日前だった。私は戦争のはじまる前から大阪の南の郊外に住んでいたが、もうそんな千日前は何か遠すぎた。
 ところが去年の三月十三日の夜、弥生座も「花屋」も「浪花湯」も大阪劇場も「千日堂」も常盤座も焼けてしまったが、地蔵だけは焼け残った。しかし焼け残ったのがかえって哀れなようだった。
 その日から十日程たって、千日前へ行くと「花屋」の主人がせっせと焼跡を掘りだしていて、私の顔を見るなり、
「わては焼けても千日前は離れまへんねん」
 防空壕の中で家族四人暮しているというのである。
「――鰻の寝間みたいな狭いとこでっけど、庭は広おまっせ」
 千日前一面がうちの庭だと、「花屋」の主人は以前から洒落の好きな人だった。
 暫らく立ち話
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