っていた。瞳に通っていた客だから、名前まで知っていた。眉毛から眼のあたりへかけて妙に逞しい松本の顔は、かねがね重く胸に迫っていたが、いま瞳と並んで坐っているところを見ると、二人はあやしいと、疑う余地もなく頭に来た。二階へ駆けあがって二人を撲ってやろうと、咄嗟に思ったが、実行出来なかった。そして、こそこそとそこを出てしまった。
翌日、瞳に詰め寄ると、古くからの客ゆえ誘われれば断り切れぬ義理がある。たまに活動写真《かつどう》ぐらいは交際さしたりイなと、突っ放すような返事だった。取りつく島もない気持――が一層瞳へひきつけられる結果になり、ひいては印刷機械を売り飛ばした。あちこちでの不義理もだんだんに多く、赤玉での勘定に足を出すことも、たび重なった。唇の両端のつりあがった瞳の顔から推して、こんなに落ちぶれてしまっては、もはや嫌われるのは当り前だとしょんぼり諦めかけたところ、女心はわからぬものだ。坂田はんをこんな落目にさせたのは、もとはといえば皆わてからやと、かえって同情してくれて、そしていろいろあった挙句、わてかてもとをただせばうどん屋の娘やねん。女の方から言い出して、一緒に大阪の土地をはな
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