東京から何里と勘定も出来ぬほど永い旅で、疲れた照枝は口を利く元気もなかった。胸を病んでいて、あこがれの別府の土地を見てから死にたいと、女らしい口癖だった。温泉にはいれば、あるいは病気も癒るかも知れないと、その願いをかなえてやりたいにも先ず旅費の工面からしてかからねばならぬ東京での暮しだったのだ……。
熱海で二日、そして東京へ出たが、一通り見物もしてしまうと、もうなにもすることはなく、いつまでも宿屋ぐらしもしていられないと、言い出したのは照枝の方で、坂田はびっくりしたのだ。お腹の子供のこともあることやし、金のなくならぬうちに早よ地道な商売をしようと照枝は言い、坂田は伏し拝んだ。いろいろ考えて、照枝も今まで水商売だったから、やはりこんども水商売の方がうまにあうと坂田はあやしげな易判断をした。
そして、同じやるなら、今まで東京になかった目新しい商売をやって儲けようと、きつねうどん専門のうどん屋を始めることになった。東京のけつね[#「けつね」に傍点]うどんは不味うてたべられへん、大阪のほんまのけつねうどんをたべさしたるねんと、坂田は言い、照枝も両親が猪飼野でうどん屋をしていたから、随分乗気になった。照枝は東京の子供たちの歯切れの良い言葉がいかにも利溌な子供らしく聴えて以来、お腹の子供はぜひ東京育ちにするのだと夢をえがき、銭勘定も目立ってけちくさくなった。下着類も案外汚れたのを平気で着て、これはもともとの気性だったが、なにか坂田は安心し、且つにわかに松本に対する嫉妬も感じた。
学生街なら、たいして老舗がついていなくても繁昌するだろうと、あちこち学生街を歩きまわった結果、一高が移転したあとすっかりはやらなくなって、永い間売りに出ていた本郷森川町の飯屋の権利を買って、うどん屋を開業した。
はじめはかなり客もあったが、しかし、おいでやす、なにしまひょ、けつねですか、おうどんでっかという坂田の大阪弁をきいて、客は変な顔をした。たいていは学生で、なかには大阪から来ている者もいたのだが、彼等は、まいどおおけにという坂田の言葉でこそこそと逃げるように出て行くのだった。そばが無いときいて、じゃ又来らあ。そんな客もあった。だんだんはやらなくなった。
照枝はつわりに苦しんで、店へ出なかった。坂田は馴れぬ手つきで、うどんの玉を湯がいたり雇の少女が出前に出た留守には、客の前へ運んで行ったり
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