がお君の意見を訊くと、例によって、
「私《あて》は如何《どない》でも……」
 良いが、俺は嫌だと、こんどは金助は話を有耶無耶に断ってしまった。
 夏、寝苦しい夜、軽部の乱暴な愛撫が瞼に重くちらついた。見習弟子はもう二十一歳になっていて白い乳房を子供にふくませて転寝しているお君を見ては、固唾をのみ、空しく胸を燃していた。
 歳月が流れた。

      二

 五年経ち、お君が二十四、子供が六つの年の暮、金助は不慮の災難であっけなく死んでしまった。
 その日、大阪は十一月末というに珍らしくちらちら粉雪が舞うていた。孫の成長と共にすっかり老い込み、耄碌していた金助が、お君に五十銭貰い、孫の手をひっぱって千日前の楽天地へ都築文男一派の連鎖劇を見に行った帰り、日本橋一丁目の交叉点で恵美須町行きの電車にひかれたのだった。救助網に撥ね飛ばされて危うく助かった豹一が、誰かにもらったキャラメルを手にもち、ひとびとに取りかこまれて、わあわあ泣いているところを見た近所の若い者が、「あッ、あれは毛利のちんぴら[#「ちんぴら」に傍点]や」と自転車を走らせて急を知らせてくれ、お君が駈けつけると、黄昏の雪空にもう
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