が赤井の父親ではないだろうかと思ったのである。訊いて見ると、果して赤井は、「そうだ。僕の親父なんだ」と眉毛をたれた情けない顔をした。その表情を見ると、豹一は、赤井の突飛な行動もあるいは此の父親のことが原因しているのではないかと思った。そう言えば、赤井の父親も向う見ずなところがある。すると、赤井が妙に気の毒になって来た。
(しかし……)と豹一は思った。(とにかく赤井の父親は赤井をその独特の方法で愛している。ところが俺の現在の父親と来たら、いまでも俺が高等学校から追い出されたら、俺を質屋へ使いに出す肚でいる。どっちが不幸か分るもんか)
 豹一は父親に愛されている赤井と、憎まれている自分とどっちが幸福かと、大人じみた思案をした。が、やがて寺町通の明るい灯がぱッと眼にはいると、豹一はもうそんな思案を中断しほうッと心に灯をともした。
 寺町二条の鎰《かぎ》屋という菓子舗の二階にある喫茶室へ上って行った。蓄音機も置かず、スリッパにはきかえてはいるような静かなその喫茶室が三高生達の記念祭の歌と乱舞で乱暴に騒がしかった。豹一と赤井はわざとそんな連中を避けて、窓から東山の見える隅のテーブルへ腰掛けた。女給仕に珈琲を註文した赤井は、ちらとその女の背後姿を見ながら、
「あいつらはなぜこんなに騒いでいるか知っとるか」と豹一に訊いた。
「上品な喫茶店だから、わざと騒いで見たいんだろう」
 騒いでいる連中の一人が、子供づれの夫婦のテーブルに近づいて帽子を取ると、「いや、ガンツ、ガンツ(―非常に―)済みません」と、ぐにゃぐにゃと頭を下げながら、媚を含んだ声で言って、再びまた騒ぎの群へ飛び帰って行くありさまをにがにがしく見ながら、そう言うと、赤井は、
「それもある。ところが、此の喫茶店は代々三高生の巣で、しかもここの息子がいま三高の理乙にはいっているから、少しぐらい騒がなきゃ損だと思ってやがるんだ。それだけじゃない。今ここへ女が来たろう。お駒ちゃんて言うんだ。皆そいつに気があるもんだから、わざと騒いでいやがるんだ。黙っていても口説けない者が騒いだって口説けるもんか」
 赤井は痩せた頬に冷笑を泛べた。なるほど、赤井が言った「お駒ちゃん」は皆の対象となっているらしく、騒ぎながらちらちらお駒の顔を見ているのが、豹一にもありありと分った。なかにはわざと酔っぱらった振りをしてお駒にしがみついて行く奴もいる。すると、お駒はげらげらと笑いながら、すっと奥へひっこんで、また顔を出す。豹一はそんなお駒の仕草までが癪にさわった。しかし、いずれ何かの必要もあろうかと、その女の顔はしかと記憶えて置くことにした。じろじろ見ていると、お駒は奥へ入ったかと思うと、お茶を持って直ぐに豹一のテーブルへ来た。赧い顔をしていた。豹一は鼻糞をほじっていた。
 十分程してそこを出た。出しなに柱時計を見ると、秀英塾を出てから丁度三時間経っていた。外出時間も丁度切れたと思うと、豹一は重苦しい心がすっと飛んでしまい、足取りも軽かった。「吸え」と赤井が出してくれた「ロビン」という煙草を吸った。が、はじめて吸うので、むせていると、
「こんな軽い煙草にむせる奴があるか」と赤井に言われた。よし、いまに強い煙草が平気で吸えるようになってやるぞと自分に言い聴かせて、何という煙草が強いのかと眼をきょろつかせていると、赤井は、
「ロビンは十銭なんだ。チェリーも十銭だが、チェリーよりもうまいぞ」と通らしく言い、
「ロビンはコマドリか。おい、『コマドリ』へ行こうか。あそこも三高の奴らで一杯だな。正宗ホールも一杯だろう。さてどこへ行こうか」
 三条通から京極へ折れて行こうとすると、
「待て、待て」と赤井が止めた。どこへ行くつもりなのかと立止ると、赤井は豹一をひっ張って、「此処を通ろう」とわざわざ三条通の入口からさくら井屋のなかへはいり、狭い店の中で封筒や便箋を買っている修学旅行の女学生の群をおしのけて、京極の方の入口へ通り抜けてしまった。豹一があっけに取られていると、赤井は、
「これが僕の楽みだ。ちっぽけな青春だよ」と、赧い顔をして言ったが、急にリーダーの訳読でもするような口調になって、
「さくら井屋には旅情が漲っている。あそこには故郷の匂いがある。なあ、そうだろう?」と言った。豹一は赤井も気障なことをいう奴だと思ったので、返事をしなかった。すると赤井は何か思いついたらしく、
「実は此の間僕の妹も修学旅行に京都へ来たんだよ。ところが、妹の奴さくら井屋の封筒が買えなくなったといって、泣き出しゃがるんだ」
 赤井の妹ならば、さぞかしひょろひょろと痩せて背の高い、眼の落ち込んだ、びっくりしたような顔の娘だろうと、豹一はふと微笑した途端に、胸が温った。赤井の言った旅情というものかも知れなかった。妹が兄のいる京都へ修学旅行に来るというそ
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