咐たり出来なかったのだが、急いでいたから、先輩たちの口調を真似てそう呶鳴った。だが、悲しいことには、彼はまだ新米だと見られていた。おまけに若い。誰も鉛筆を持って来なかった。豹一は赧くなった。すると、
「よう、鉛筆だよ!」豹一のところへ、鉛筆を持って来てくれた男がある。見ると、土門だった。
「あ、済みません」豹一は嬉しかった。
「金貸してくれ! 五十銭で良いよ」いつものでん[#「でん」に傍点]だと苦笑しながら、机の上に五十銭銀貨を置くと豹一は再びザラ紙の上へ尾行記を書き続けて行った。
土門は銀貨をズボンのポケットに入れながら、
「いこう熱心でげすな。いったい何の記事?」訊ねかけて、豹一が答えぬ先に、「あ、なるほど。村口多鶴子の……。代役恐縮だね。あはは」笑った。豹一はふと顔をあげて、
「村口多鶴子っていったいどんな女優なんですか? なにをしたんですか?『罪の女優』ってなんのことですか?」ほかに訊く人もなかったから、土門と顔を合せたのを良い機会だと思って、訊いてみた。
「おや? 知らないのか? こりゃ愉快だね。村口多鶴子の一件を知らん新聞記者がいるとは愉快だよ。ことにそいつの尾行を書くっていう手合が知らぬと来ては、あはは、たまりまへんよ。ぞくぞく嬉しくなりまんがな。朝っぱらからあんまり喜ばさないで頂戴ね。へ、へ、へ、……」嬉しそうに笑っていたが、ふと真顔になると、
「本当に知らないの?」
「ええ」
「そうか、じゃ教えてやろう。村口多鶴子ってのは、ありゃ君つまらない奴だよ。良い役をつけて欲しさに、監督とくっつきやがった挙句、到頭カル焼みたいに肥り出して来たお腹を、あっという間にもとのスタイルに整形したというかどで、ちょっと来なさい――そんな奴だよ。それで謹慎してりゃ、未だ可愛いが、よくよく人気稼業が忘れられんと見えて、しゃりしゃり『オリンピア』へ現れて来るって代物だ。酔っぱらって書けなかったいいわけじゃないが、あんな奴の提灯持記事を書くのは、おら真平でがんすよ。あはは」土門は一気にまくし立てると、「だが、君は役目だから、せいぜい書きたまえよ、はじめての記事だろう? 頑張って書きたまえ。じゃあ、また……」と、言いながら、立ち去ってしまった。
なるほど、そんなわけだったかと、豹一はもう書き続けるのがいやになった。じつは彼は提灯を持って書いていたのである。豹一はいきなりいままで書き綴って来た原稿用紙を破ってしまった。そして、新しいザラ紙に「1」と番号をつけた。
やがて、豹一は土門に刺戟された辛辣な文章で書きはじめた。「止」と終止符号を書いたのはもう正午近かった。豹一は原稿を読みながら、編輯室を横切って、編輯長のところへ持って行った。そして、出て来ると、給仕が寄って来て、
「あんた、昨夜『オリンピア』へ行きはりましたか?」と、訊いた。そうだとうなずくと、給仕は、
「そんなら、あんたに電話が掛ってますわ」小莫迦にした口調で言った。
豹一の名はわからなかったから、昨夜「オリンピア」へ来た人を呼んでくれと、掛けて来たのは村口多鶴子だった。
電話口へ出て、それと知ると、豹一は周章てた。それでなくとも、豹一はこれまで電話というものを使った経験が余りなく、ことに社でははじめてである。豹一は真赤になって、はあ、はあと下手な返辞ばかりしていた。
「昨夜は大変失礼しました」声で豹一だとわかると、多鶴子はそう言った。
「はあ」失礼したのは自分の方ではなかったかと、豹一はふと昨夜帰りぎわに見た多鶴子の哀願的な表情を想い出した。
「あのう、ちょっとお話したいことがありますの。いま、お手すきでしょうか」
「はあ」
「では、会っていただけます?」
「はあ」
「心斎橋の不二屋でお待ちしていますわ」
「はあ」
「すぐ来ていただけます?」
「はあ。不二屋ですね」豹一はびっしょり汗をかいていた。断り切れなかった。
いま、彼女のことを散々にこきおろした記事を書いたばかりではないか。豹一はすっかり恐縮していた。もともと彼女には反感をもっていた筈だった。ことに、土門の話をきいただけに一層その反感に油が注がれている筈だ。だから、むやみに恐縮するのは変な話だったが、その反感をすっかり文章に出してしまったいま、無理にその反感に頼ろうにも、効果は少かった。それに面と向っての話ではないだけに、いつもなら、その美しい顔から受ける冷たい感じに反感を覚えることもなかったわけだ。ひとつには、多鶴子の電話を通した声は例の重みのあるしわがれた響きがなく、案外に透き通った優しい響を伝えていたのである。
電話機を掛けると、豹一はオーバーをひっ掛けながら、社を飛び出した。
不二屋へはいって行くと、多鶴子はさきに来ていて、手袋をはめた指を一本あげて豹一に合図した。
「お呼び立てしまして……さあ、
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