の中に残っていた。佐古は名刺を握りしめたまま、入口の方へ駆けつけた。ボーイはあとを追うて、
「こっちの方です」
出入商人や従業員が出はいりする勝手口の方を指さした。
三
わざと閉店近くの夜十一時過ぎ、豹一はひきずるように着た長いオーバーのポケットに両手を突っ込んで、「オリンピア」の前へ現われたのだった。
ジャズバンドの音が気おくれした豹一を押しのけるようになかからきこえて来て、道頓堀のアスファルトを寒く乾かしていた。
なんということか、豹一は何度かためらった挙句、ボーイや女給たちが並んでいる正面の入口からはいる気がせず、「男ボーイ入用」「雑役夫入用」「淑女募集」などの貼紙が風にはためいている勝手口から飛び込んだ。
そこにボーイがいて「なんぞ用だっか」とじろりと見られた。あるいは、若い豹一を見てボーイに雇われに来たのだと思ったのかも知れぬ。豹一のようないくらか蒼ざめた、顔かたちの整った青年は、ボーイにうってつけなのだ。
「新聞記者のものですが……」うろたえた豹一は、「新聞社のもの……」というところを、そんなへまを言ってしまった。
「名刺もったはりまっか」
なるほど新聞記者は先ず名刺が要ると土門がいったのはこれだったかと、豹一は正直に作って置いた莫迦に小型の名刺を出した。ボーイはちらとそれを見て、
「はあ、さいですか? いま係の方に来てもらいまっさかい、ちょっとお待ちなすって……。さあ、どうぞ、お掛け下さい」
名刺の効果はてきめんだった。ボーイは急に言葉使いを改め、椅子をすすめた。そして、陰気くさい溜り部屋のドアを押して出て行った。ドアをひらいた拍子に、はなやかなキャバレエの内部がぱっと見えた。豹一は妙に緊張した。
暫く待っていると、燕尾服の胸に薔薇の花をつけた男が下品な感じの顔をぬっと出した。
「私佐古です」そう言ったかと思うと、いきなり、「あんた、東洋新報の方でんな?」と呶鳴りつけるように言った。
「はあ」豹一は相手の顔をしげしげと観察しながら、答えた。
「あんたとこはけしからん」佐古はどう見ても駈出しの新聞記者としか見えぬ、子供っぽい豹一をなめて掛ったのか、のっけ[#「のっけ」に傍点]から喧嘩腰だった。「なんでうちの記事を書いてくれはれしまへんねん。よそさんは皆書いてくれはりまっせ。ほんまにけしからん。書かんのは君とこだけやぜ。どないしてくれる気や?」
豹一はむっとした。「だから今日こうしてわざわざ来てるんじゃないですか?」豹一は「わざわざ」に力を入れて、そう言った。その調子にはまるで豹一の外観からは想像も出来ぬ、鋭いものがあったから、さすがに佐古は、「今日来ても手おくれや」とは口に出せなかった。
(駈出しの癖に威張ってくさる。こういうのがかえってうるさいのかも知れぬ)下手に怒らしてはあとが怖いと、佐古は咄嗟に考えた。(こういう青っぽい駈出しが、得てしてあと先も見ずに慾得もなしに、無茶なゴシップを書きくさるのや)
佐古の顔は急にほころびた。
「それはよう来てくれはりました。さあどうぞ!」まるで打って変ったようにぐにゃぐにゃした佐古は、そう言って豹一をドアの外へ連れ出した。
眼も痛むような明るい光線がジャズの喧噪に赤く青く揺れている社交場が、眩しく展けていた。豹一はもう何ものも眼にはいらぬような興奮した状態になって道頓堀に面した窓側のテーブルへ連れて行かれた。
「さあ、どうぞ!」佐古はソファの方へ掌を出した。
豹一は虚勢を張りながら、いきなりどすんと腰を下したが、スプリングがついていたので、危く転りそうになった。かなり済ましこんでいたので、ぶざまなことにはちがいなかった。佐古の眼が笑ったと、豹一は咄嗟に思った。
佐古は豹一がやっとソファの奥深く収ってしまうのを見届けてから、「では御ゆっくり……」と言って、眼ばかりぎょろぎょろ光らせている豹一をそこに残して、立去ってしまった。
やがて、ボーイが現れて、テーブルの上へ爪楊子入れのようなちっぽけなグラスを置き、それに洋酒を注いで立去った。ビール罎やコップが載っているのならともかく、そんなちっぽけなグラスがぽつりと大きなテーブルの上に置かれた図は、いかにもわびしかった。じっとそれを見ていると、豹一はなんだか恥しくなって来た。豹一は照れかくしにそのグラスを手に取って、一気にそれを口へ流しこんだ。
「あ!」ジンだった。舌を咽喉をさす強烈な刺戟に、豹一は眼の玉までやけるような気がした。驚いて、下を向き床の上へこっそり吐き出していると、ふっと衣ずれの音がして、生温い女のにおいが閃いた。顔をあげると、白いイヴニングを着た女がすんなりとテーブルの横に立っていた。
(村口多鶴子だな?)と、豹一は直感した。
「やあお待たせしました、村口さんです。――こちらは
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