ね[#「ね」に傍点]らまれるとはなんだ! 俺を危険人物だと思ってやがる!)
根室の反対意見にかなり賛成の声が出て、何れも京都に家をもった生徒ばかりだった。結局仮装は「酋長の娘」という無意味な裸ダンスに決った。豹一は立って、不参加を表明した。赤井も、「裸ダンスの方が不穏当ではないか」と反対意見を述べて不参加と決ったのである。
窓の外を見ていると、教室へぬっと黒い顔を出した男があった。野崎だった。
「君、仮装に出ないの?」と豹一が言うと、野崎は眼鏡の奥で眼をパチパチさせて、
「俺は出えへんのや。練習せえへんかってん」と未だ大阪訛の抜け切らぬ口調で言って、黒い顔をちょっと赧くした。ああ、そうかと豹一は思い当った。野崎はひどく忘れっぽい男で、教室でもたびたび教科書を忘れ、隣の豹一の机へ自分の机を寄せて、「ちょっと見せてんか」とこれが三日に一度である。その都度、気の毒そうに、「君も大阪やろ? 大阪へ帰るんやったらわいの定期貸したるぜ」というのだった。彼は毎日大阪から通学していたのである。
「君はどうするんだ? 定期無しで……?」と訊くと、
「わいは京都で待ってるさかい、大阪へ着いたら直ぐ定期を速達で送ってくれたらええのや」
その間待っているつもりなのかと、豹一は野崎の底抜けのお人善しに驚いてしまった。彼が忘れるのは教科書だけでなく、例えば自然科学の時間などに、べつの合併教室へ移動するのを忘れ、ぽかんとひとり教室に坐っていることがよくある。独逸語の訳読をやらされるときなど、いきなり三頁位先の方を読み出して、皆んなを面くらわせることもある。ラグビー部へ一週間ほどはいっていたが、練習の時間を故意にすっぽかすと思われて、部を除名されたということだ。だから、仮装行列の練習時間もうっかり忘れたのであろうと、豹一は思ったのである。何れにしても、不参加者が一人増えたわけだと喜んでいると、野崎は、
「俺は色が黒いやろ。しゃから、色が黒くても南洋じゃ美人というあの歌がきらいやねん」と言い、顎をなでて、
「今日一ぺん化粧《やつ》してこましたろ思て、髭剃ったんやけど、あとからなんぞつけるのん忘れたよって、ひりひりして痛いわ」と言うのだった。豹一はこんなことが平気で言える野崎がにわかに好きになった。その大阪弁も好きだった。自分がわざと標準語まがいの学生言葉を使っているのが恥しかった。なにか野崎の
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