すると、お駒はげらげらと笑いながら、すっと奥へひっこんで、また顔を出す。豹一はそんなお駒の仕草までが癪にさわった。しかし、いずれ何かの必要もあろうかと、その女の顔はしかと記憶えて置くことにした。じろじろ見ていると、お駒は奥へ入ったかと思うと、お茶を持って直ぐに豹一のテーブルへ来た。赧い顔をしていた。豹一は鼻糞をほじっていた。
 十分程してそこを出た。出しなに柱時計を見ると、秀英塾を出てから丁度三時間経っていた。外出時間も丁度切れたと思うと、豹一は重苦しい心がすっと飛んでしまい、足取りも軽かった。「吸え」と赤井が出してくれた「ロビン」という煙草を吸った。が、はじめて吸うので、むせていると、
「こんな軽い煙草にむせる奴があるか」と赤井に言われた。よし、いまに強い煙草が平気で吸えるようになってやるぞと自分に言い聴かせて、何という煙草が強いのかと眼をきょろつかせていると、赤井は、
「ロビンは十銭なんだ。チェリーも十銭だが、チェリーよりもうまいぞ」と通らしく言い、
「ロビンはコマドリか。おい、『コマドリ』へ行こうか。あそこも三高の奴らで一杯だな。正宗ホールも一杯だろう。さてどこへ行こうか」
 三条通から京極へ折れて行こうとすると、
「待て、待て」と赤井が止めた。どこへ行くつもりなのかと立止ると、赤井は豹一をひっ張って、「此処を通ろう」とわざわざ三条通の入口からさくら井屋のなかへはいり、狭い店の中で封筒や便箋を買っている修学旅行の女学生の群をおしのけて、京極の方の入口へ通り抜けてしまった。豹一があっけに取られていると、赤井は、
「これが僕の楽みだ。ちっぽけな青春だよ」と、赧い顔をして言ったが、急にリーダーの訳読でもするような口調になって、
「さくら井屋には旅情が漲っている。あそこには故郷の匂いがある。なあ、そうだろう?」と言った。豹一は赤井も気障なことをいう奴だと思ったので、返事をしなかった。すると赤井は何か思いついたらしく、
「実は此の間僕の妹も修学旅行に京都へ来たんだよ。ところが、妹の奴さくら井屋の封筒が買えなくなったといって、泣き出しゃがるんだ」
 赤井の妹ならば、さぞかしひょろひょろと痩せて背の高い、眼の落ち込んだ、びっくりしたような顔の娘だろうと、豹一はふと微笑した途端に、胸が温った。赤井の言った旅情というものかも知れなかった。妹が兄のいる京都へ修学旅行に来るというそ
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