、半年もうかうか経ってしまった。もはや豹一は、完膚なきまでに自分を軽蔑していた。余り毎日退屈だったので、彼は「本邦畳史」の記事蒐集に取り掛った。それを連載すれば、たとえ社長と雖も、自分を認めてくれるだろうなどと、ひそかにそれで以て昇給を期待することだけは、さすがに許さなかったが。
自分自身から見離されてしまったので、彼は全く古手拭のような無気力な、ひっそりした人間になってしまった。しかし、二十歳の彼にはしばしば自分を軽蔑するだけの若さは未だ残っていた。それがせめてもであった。そして、ある日、彼は遂にその若さに物を言わせてしまった。
その日、発送日だった。だから、彼はいつもより機嫌が悪かった。が、ただ一つ、彼がかなり苦心して纒めあげた「本邦畳史」の第一回目が掲載されているのを見るという楽みがあった。ところが、刷り上って来たのを見ると、それがどこにも載っていなかった。
「どうして載せてくれないんですか?」と、社長に抗議するのも恥しい気持で、豹一は赧くなって、そわそわと新聞から眼を離した。
(没にされたのだろうか、それとも次号廻しだろうか?)そんなことをしょんぼり考えているところへ、印刷所から、別刷りだと言って、百部ほど刷り上りを持って来た。見ると、「本邦畳史」が相当大きな見出しで載っていた。
「別刷りというのもあるんですね」と豹一はそれとなく社長に訊いてみた。
「へえ、おまっせ」社長はアルミの金盥にいれた糊をしきりにこねまわしながら、ぼそんとした声で言い、そして、「こら内緒やが――」最近当局の新聞取締がきびしくなり、むやみに広告の段数をふやすことが出来なくなったので、検閲係や官庁へ提出用の分として、広告の段数を減らし、記事の段数をふやした別刷りの新聞をつくって置くのだと、社長は説明した。
「君、御苦労やけど、別刷りの新聞二部、府庁の特高課へもって行ってんか」
「今直ぐですか」反射的にそう言ったが、むろん怒ったような声だった。
「ああ、今直ぐ行ってんか」
「いやです!」大袈裟に言えば、一年半こらえにこらえて来ただけの声の響きはあった。豹一自身、われながら満足出来る声だった。少くとも辞職の瞬間に相応わしいような声だと、思った。自分の記事が別刷りの埋草だけに使われたということへの怒りが、この気持に拍車を掛けた。社長の痩せた貧相な顔を見ると、さすがに気の毒な気もしたが、しか
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